谷素外とは? わかりやすく解説

谷素外

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/28 06:53 UTC 版)

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谷 素外(たに そがい、1733年享保18年) - 1823年文政6年))は、江戸時代俳人談林派七世。号は一陽井

人物

1733年(享保18年)大坂の商家に生まれ、壮年のころ江戸に下り、神田お玉ヶ池に住居した[1]。俳諧は当初建部綾足(俳号涼袋)門だったが、後に江戸談林派の小菅蒼孤につき、一陽井素外と号した[1]。師亡き後に江戸談林七世と称し、西山宗因に始まる談林俳諧の興隆に尽力した[1]。中村仏庵・山本北山沢田東江加藤千蔭柳亭種彦など、多くの江戸文人と交友があり、門弟には大名や浮世絵師も名を列ねた[1]。1806年(文化6年)、娘の素塵を点者に立てて、自身は著述に没頭した[1]。1823年(文政6年)2月8日没、享年91歳[1]

台東区慶養寺にその墓が残っている[2]東京都品川区利田神社に残る鯨塚には「江戸に鳴る、冥加やたかし、なつ鯨」という素外の句が刻まれている[3]

酒井藤吉(日本浮世絵博物館旧館長)は、東洲斎写楽の正体の一人とする説を提出している[4]が、この説は後に中野三敏の研究[5]などによって否定された。

脚注

  1. ^ a b c d e f 谷素外寿碑 台東区ホームページ ”. www.city.taito.lg.jp. 2020年5月26日閲覧。
  2. ^ 谷素外墓碑 台東区ホームページ ”. www.city.taito.lg.jp. 2020年5月26日閲覧。
  3. ^ 利田神社・鯨塚” (日本語). しながわ観光協会 (2018年3月12日). 2020年5月26日閲覧。
  4. ^ 『"写楽"実は俳人"谷素外"』(『読売新聞昭和44年10月16日号)
  5. ^ 中野三敏 『写楽 江戸人としての実像』 中央公論新社、2017年2月。 

関連項目


谷素外(たに そがい)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 16:29 UTC 版)

算法少女 (小説)」の記事における「谷素外(たに そがい)」の解説

三の幼馴染一陽井の号を持つ俳人談林派七世。三と違って世事長け有馬家などの武家文人縁故を持つ。三とは損得抜き間柄で、あきの算法指南役の件でも何かと千葉家世話を焼く盗用疑いかけられたあきの汚名を雪ぐため、和算書の出版持ちかけ、『算法少女出版運びとなる。

※この「谷素外(たに そがい)」の解説は、「算法少女 (小説)」の解説の一部です。
「谷素外(たに そがい)」を含む「算法少女 (小説)」の記事については、「算法少女 (小説)」の概要を参照ください。

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