収容所の運営
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/06 07:01 UTC 版)
これらの収容所における殺戮方法は、一般にはガス室で毒ガスを用いたものである。アウシュヴィッツの所長であったルドルフ・フェルディナント・ヘス(Rudolf Höss 、ナチス党副総統のルドルフ・ヘスRudolf Heßとは別人)は、大量射殺に携わった特別行動隊員(Einsatzkommando 、SSの指揮下にあった準軍事組織)の多くが「それ以上血の海にまみれることに耐えられなくなって」発狂したり自殺を試みたりしたと戦後になってから記している。殺された人々の遺体は焼却炉で処分され(屋外で薪を用いて焼いていたソビボル収容所は除く)、遺灰は埋められるか撒き散らされるかであった。アウシュヴィッツ=ビルケナウでは遺体の数が多すぎて、埋めたり薪で燃やしたりしていては処理が追いつかなかった。これら大量の死体を処分するためには、トップフ・ウント・ゼーネ社 (Topf und Söhne) と契約して建造した特注の死体専用焼却炉を昼夜問わず運転するしか方法がなかった[要出典]。 収容所の運営方法はそれぞれ若干異なっていたが、いずれも可能な限り効率的に大量殺戮を行うために設計されていた。一例として、SSの衛生学研究所所員であったクルト・ゲルシュタイン中尉が、スウェーデンの外交官に対して自分が収容所で見たものを伝えた戦時中の証言がある。彼は1942年8月19日(当時の収容所は主にガソリンエンジンから発する一酸化炭素をガス室で用いていた)にベウゼツに到着して、45両の列車に詰め込まれた6,700人のユダヤ人が降ろされるのを誇らしげに見せられた。その多くは既に死亡していたが、生き残った者も裸でガス室へ送られていった。その時の様子についてゲルシュタインは証言している。 ヘスによると、ユダヤ人に対して最初にツィクロンBが使用された時は、シラミ駆除のための消毒ガスだと説明されていた(実際、ツィクロンBはもともと殺虫剤として開発されたものである)にもかかわらず、既に多くの囚人が自分たちは殺されるのではないかと感づいていた。その結果、後日ガス処理を行う際に「厄介な者」になるかもしれない囚人を選別するための労が取られることとなり、このような囚人は隔離されたのち密かに射殺された。ユダヤ人たちに不安を与えぬよう、ゾンダーコマンド(Sonderkommando 、自分の延命と引き換えに、他の囚人をガス室へ送ったり死体を片付けたりする任に当たったユダヤ人による特殊部隊)の隊員たちはガス室の中まで囚人に付き添い、ドアを閉めるときまで残っているよう指示された。この「鎮静効果」を高めるため、SSの衛兵もガス室の入り口に立つこととしていた。囚人たちが自分の運命について考える暇を与えないために、可及的速やかに衣服を脱ぐよう命令が下され、進捗を遅らせるかもしれない囚人に対してはゾンダーコマンドが手伝いさえした。 ガス処理されるユダヤ人たちを安心させるために、ゾンダーコマンドは収容所での生活について話したり、何も問題はないと説き伏せたりなどした。乳飲み子を抱えたユダヤ人女性の多くは、消毒薬が子供に害を与えることを怖れて、自分の脱いだ服の下に子供を隠した。ヘスの記述によれば、「特殊部隊の隊員たちは特にこの点を注意して見張って」おり、子供たちも連れてくるよう女たちに呼びかけていた。「こうしたやり方で服を脱がされる不安感によって」泣き出すかもしれない年長の子供たちをなだめるのもゾンダーコマンドの任務であった。 しかし、こうした方法で全ての囚人が騙された訳ではなかった。ユダヤ人の中には、「それでも自分の行く手に何が待ち受けているか予想ないし理解していた」が、「目の前の恐るべき光景にもかかわらず、子供を励ますために冗談をいう勇気を見せた」者もいたとヘスは伝えている。何人かの女性は突如として「脱衣中に凄まじい悲鳴を上げたり、髪を掻き毟ったり、狂人のように叫びだすなどした」。このような場合には即座にゾンダーコマンドが駆けつけて射殺した。一方、ガス室へ連れて行かれる前に「まだ隠れている同胞の居場所を明かした」者もいた。 囚人を中に入れてドアが閉められると、微粉末状のツィクロンBがガス室の天井に開けられた特殊な孔から噴射された。収容所の指揮官は覗き穴からガス処理が済んだことを視認し、準備や後片付けの監督をするのが任務であった。ヘスは、ガスによって死亡した遺体には「痙攣の兆候が見られなかった」と報告している。アウシュヴィッツに勤務していた医師は、ツィクロンBの「肺を麻痺させる効果」により、痙攣が始まる前に死亡したためだと推定した。 ガス処理が済むと、特殊部隊員が死体を運び出して金歯を抜いたり髪を剃り落としたりしたのち、焼却炉または死体を燃やす穴へ運ばれた。いずれにせよ死体は焼却処分されるが、火は特殊部隊員によって焚かれた。余分な脂肪分を排出し、常に火を燃え立たせておくために「燃える死体の山」がひっくり返された。ゾンダーコマンドの働きは素晴らしいものであったとヘスは述べている。「彼らもまた、いずれは同じ運命を辿ることになるのを十分承知して」いたにもかかわらず、「まるで以前から大量殺戮者だったかのごとく、いかにも当然といった様子で」手際よく任務をこなしたという。ヘスによると、多くのゾンダーコマンドは仕事をしている間、「死体の焼却などの忌まわしい任務を控えている時でさえ」食事を取ったり煙草を吸ったりしていたという。時折彼らが近親者の死体に出くわすことがあり、「さすがにこれには動揺していることは明らかであったが、……何も騒ぎは起きなかった」。ヘスはガス室から焼却用の穴へ死体を運んでいる時に自分の妻の遺体を発見した男に言及しているが、「まるで何も起こらなかったように」ふるまっていたと伝えている。 ガス処理の様子を視察するために、ナチス党やSSの高級将校がアウシュヴィッツを訪れることがあった。例外なく「自分の見たものに深く衝撃を受けて」、何人かの「かつて私にユダヤ人根絶の必要性を声高に語った者でさえ、『ユダヤ人問題の最終的解決』の実態を目の当たりにして言葉を失っていた」とヘスは書いている。またヘスはどうやってこの惨状を我慢することができたのかとたびたび訊ねられたという。彼は「総統の命令を実行しなければならないという鉄の意志だ」と説明していたが、「明らかに私より頑強であったアイヒマンでさえ、私と職務を取り替えたいとは決して望まなかった」。
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