収容所の場所と構造
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/27 13:51 UTC 版)
「ヒンツァート強制収容所」の記事における「収容所の場所と構造」の解説
フンスリュック山脈(de:Hunsrück)を見下ろすホッフワルト高地(Hochwald)に存在した。収容所の名前は一番近い村ヒンツァート=ペラート(de:Hinzert-Pölert)に因んで名付けられた。収容所のある高地は550mの高度であり、冬には高い湿度、風、強い降水量、霧、低気温に襲われる。 収容所は工事のための材木となる針葉樹林によって囲まれていた。 収容所の入り口から周りに囚人の墓地がある道を通じて進んでいくと親衛隊隊員によって厳重に警備された区画があった。この区画には7軒の小屋が建てられており、収容所所長や看守の親衛隊員の駐屯所、車庫、労働所、2軒の親衛隊員の宿所などがあった。またこの区画は花のアレンジメントで飾り付けをされていた。 囚人はこことは別の約200m×200mの区画に収容されていた。この区画は見張り搭がある高さ3mの有刺鉄線フェンスによって囲まれていた。 また囚人区画には収容所所長宅、衣服製造作業場、大工作業場、隔離場、死体置き場、消毒場、囚人の所有物を没収する「預かり所」が存在していた。 囚人は4軒の小屋に住まわされた。各小屋は2つの部屋があり、1つの部屋につき、26個の2段ベッドが存在した。1つの小屋に付き208人を理論上の収容数としていた。後に藁布団が増やされて理論収容数560人に増やされた。一定の部屋は特定のカテゴリに分離される囚人用であった(たとえば「夜と霧」の法律で逮捕された囚人など)。 収容所の中には3つのビルが建っており、その中にはゲシュタポ地方事務所、管理所、調理場などがあった。 別の区画には点呼広場が存在したが、後に親衛隊がその周りに野菜農園を作った際に点呼広場の規模が小さくなった。点呼広場の中央には拡声器のついた柱が立っていた。囚人にはしばしばこの柱に向かって数時間立ち続けるという罰が与えられていた。点呼広場は午前4時30分からの囚人の運動のための場所としても使用され、この際にはドラムの音が流れていた。
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