収容所における捕虜
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/05 09:14 UTC 版)
「ソビエト連邦戦争捕虜に対するナチスの犯罪行為」の記事における「収容所における捕虜」の解説
連合軍将兵が捕虜となった場合、通常ジュネーヴ条約等の国際条約に従った保護と待遇を受けたが、赤軍捕虜に対してはソ連政府がジュネーブ条約を批准していないことを名目に特別に用意されたRussenlager(ロシア人用収容所)と呼ばれる収容所へ収容、他国民の捕虜から隔離する措置が取られていた。 このRussenlager(ロシア人用収容所)の多くは収容施設そのものが存在せず、平原を有刺鉄線と監視塔で仕切っただけのものであった、風雨や酷暑、酷寒に晒された捕虜たちは、穴を掘って凌ぐほかなかった。警備兵による暴力、虐待は日常茶飯事であり、一日の食料は数百カロリーを与えられるに過ぎず、誰もが栄養失調を起こしていた。医療サービスは存在せず、1941年赤十字社による支援が申し込まれたが、ドイツ側はこれを拒絶した。 1941年夏から秋にかけて赤軍の敗北は続いた。包囲され脱出の術を失った部隊は11個にも上り、膨大な数の将兵が捕虜となった。電撃戦による早期の勝利が予想されたため、ナチス・ドイツはこれらの囚人の釈放を行う事を考えなかった。ドイツ軍管理下の元、捕虜たちは取り調べを行われるか、抑留されるか、行進を強制されるか、さもなくば無蓋貨車で輸送された。 また冬が始まった時、捕虜は防寒服など越冬用の装備が不十分であったドイツ軍により必需品や衣類を奪われたが、これは捕虜にとって致命的なことであった。
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