武装SS髑髏師団
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他の親衛隊の武装組織である親衛隊特務部隊(SS-VT、後の武装親衛隊)や「ライプシュタンダルテ・アドルフ・ヒトラー」はヒムラーに取って動かしにくい存在であった。そこでヒムラーは自分が動かしやすい親衛隊武装部隊である親衛隊髑髏部隊に目を付けた。髑髏部隊は武器や装備など専門的な問題以外は陸軍から一切の干渉を受けなかったのである。ヒムラーは髑髏部隊の武装をもっと強化して、警察部隊としてではなく前線に送る戦闘部隊にする事を決めた。 こうして1939年10月31日に髑髏部隊を中核として第3SS装甲師団(俗称「髑髏師団」)が創設された(師団長アイケ)。武装親衛隊として西方電撃戦や独ソ戦に出征した。以降アイケや髑髏部隊員たちは強制収容所の運営に関与していない。1940年末までには戦前に髑髏部隊の隊員だった者全員が武装親衛隊になっていた。同師団は騎士鉄十字章受章者を47名輩出する勇戦をした。彼らの戦いぶりに付いては第3SS装甲師団を参照のこと。
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