武装した平和と内戦の再開とは? わかりやすく解説

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武装した平和と内戦の再開

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/10 14:01 UTC 版)

カトリーヌ・ド・メディシス」の記事における「武装した平和と内戦の再開」の解説

1563年8月17日ルーアン高等法院シャルル9世成人宣言したが、自身統治にあたることはできず、また本人政務にほとんど関心を示さなかった。カトリーヌアンボワーズ勅令の実施王室への忠誠回復させるために「フランス巡幸」を決意し、彼女はシャルル9世廷臣たちとともに1564年1月から1565年5月にかけてフランス各地巡ったカトリーヌマコンネラックプロテスタントジャンヌ・ダルブレナバラ女王ナバラアントワーヌ未亡人)と会見持ちまた、彼女はスペイン国近くバイヨンヌで娘のエリザベート再会したフェリペ2世はこの機会不在にすることを謝罪するとともにアルバ公派遣してカトリーヌアンボワーズ勅令廃棄異端問題断固たる解決法を見つけるよう求めた1566年シャルル9世カトリーヌ長年オスマン帝国との同盟頼りに、駐オスマン大使ギヨーム・ド・グランシャン・ド・グラントリ(英語版)を通してフランスのユグノーフランスおよびドイツルター派オスマン帝国支配地域モルダヴィア移住させて軍事植民地をつくり、ハプスブルク家対す緩衝地帯となすことをオスマン宮廷提案した。この計画フランス国内からユグノー排除できる利点があったが、オスマン帝国関心をひくことはできなかった。 1567年9月27日ユグノー軍は国王襲撃企てモー奇襲英語版))、これが内戦再開引き金となった。不意を襲われ宮廷無秩序にパリへ逃げ出した戦争1568年3月22日から23日ロンジュモー和議英語版)で終結したが、民衆暴動流血沙汰続いたモー奇襲カトリーヌの対ユグノー政策転換点となった。これ以降、彼女は妥協的な政策放棄する。彼女はヴェネツィア大使に対してユグノーから期待できることは欺瞞だけだと語っており、ネーデルラントにおいて数千人のカルヴァン派反乱軍処刑したアルバ公恐怖政治称賛している ユグノー陣営指導者ガスパール・ド・コリニー通称コリニー提督)(左)とジャンヌ・ダルブレナバラ女王フアナ3世)(右) ユグノー大西洋沿海地域要塞化された拠点ラ・ロシェルへと退却しジャンヌ・ダルブレ15歳息子アンリ・ド・ブルボンとともに彼らに合流したジャンヌカトリーヌに対して私たちは神と信仰捨てるよりは死ぬことを決意してここへやって来た」と書き送っている。カトリーヌジャンヌを「世界で最も恥ずべき女」と呼んだ。だが、資金使い果たした国王軍1570年8月8日サン=ジェルマン和議英語版)を結び、ユグノーに対してそれまで上の寛容余儀なくされた。 カトリーヌ王室結婚によってヴァロワ朝権益より一層確実なものとしようとした。1570年シャルル9世神聖ローマ皇帝マクシミリアン2世皇女エリーザベト結婚し、彼女はまた2人王弟たちのいずれかイングランド女王エリザベス1世結婚させようともしている。1568年長女エリザベート出産の際に死去すると、末娘マルグリットスペイン王フェリペ2世後添えにとしつこく勧めていたが、彼女はヴァロワ家ブルボン家王位請求権統合すべくマルグリットとアンリ・ド・ブルボンとの結婚画策するようになった。だが、マルグリットギーズ公アンリ先に暗殺されギーズ公フランソワ息子)とひそかに恋仲になっており、このことを知ったカトリーヌ激怒し、娘を寝室から連れて来させると、王とともに彼女を叩き寝間着引き裂き、そして彼女の毛髪ひとつかみ引き抜いたカトリーヌジャンヌ・ダルブレ宮廷出仕するよう圧力をかけた。彼女はジャンヌ息子との面会求め決し危害加えない約束すると書き送った。これに対してジャンヌは「申し訳ありません。私はお手紙読んで笑ってしまいました。なぜなら、貴女様は私がかつて感じたことすらない恐怖取り除いてくださると申されますので。私は、人々が言うように、貴女小さな子供食べてしまうと考えたことなどございません」と返書した。ジャンヌ宮廷出仕すると、カトリーヌは彼女の手強く握りしめ、最愛息子対する彼女の希望につけ込んだジャンヌアンリユグノー留まることを条件として、最終的に息子マルグリットとの結婚同意したジャンヌ結婚衣装を買うためにパリ訪れた際に病に罹り44歳急死した(これにより、息子のアンリ・ド・ブルボンがナバラ王位継承した)。ユグノー記録者たちはカトリーヌ手袋に毒を仕込みジャンヌ殺害した非難している。結婚式1572年8月18日パリ市内のノートルダム聖堂挙行された。

※この「武装した平和と内戦の再開」の解説は、「カトリーヌ・ド・メディシス」の解説の一部です。
「武装した平和と内戦の再開」を含む「カトリーヌ・ド・メディシス」の記事については、「カトリーヌ・ド・メディシス」の概要を参照ください。

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