南向発電所とは? わかりやすく解説

南向ダム

(南向発電所 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/10/03 07:01 UTC 版)

南向ダム
所在地 長野県駒ヶ根市中沢吉瀬
位置
河川 天竜川水系天竜川
ダム諸元
ダム型式 重力式コンクリートダム
堤高 7.57 m
堤頂長 123.51 m
流域面積 1793.0 km²
利用目的 発電
事業主体 中部電力
電気事業者 中部電力
発電所名
(認可出力)
南向発電所 (26,700kW)
着手年/竣工年 1927年/1929年
出典 [1]
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南向ダム(みなかたダム)は、長野県駒ヶ根市一級河川天竜川水系天竜川に建設されたダム吉瀬(きせ)ダム吉瀬えん堤(きせえんてい、吉瀬堰堤)ともいう。高さ7.57メートルの重力式コンクリートダム)で、中部電力発電用ダムである。同社の水力発電所・南向発電所に送し、最大2万6,700キロワットの電力を発生する。

歴史

天竜川の水資源を活用した水力発電所を建設すべく1926年大正15年)3月5日に発足した天竜川電力は、その先駆けとして大久保発電所の建設工事を同年11月に、続いて下流の南向発電所の建設工事を1927年昭和2年)7月に着工[2]。南向発電所の工事用電力を確保するため、先んじて建設が進められていた大久保発電所が1927年昭和2年)9月に完成し、南向発電所に至る22キロボルト送電線が敷設されると、これを機に南向発電所の建設工事が本格着手となった[3]。上伊那郡中沢村(現・駒ヶ根市中沢)吉瀬に天竜川をせき止める南向ダムを建設し、下流の発電所まで長さ11.732キロメートルの水路が開削された[4]。水路の長さが当初の計画よりも1,305メートル長くとられたことで有効落差が3メートル増え、それに伴って出力規模も2万1,300キロワットから2万4,100キロワットに拡大されている[3]発電用水車スウェーデンのボービング製、発電機イギリスブラウンボベリ製で、当時世界最高水準の技術が投入された[5]

1929年(昭和4年)1月に主要工事が完了[4]。同年2月に送電線が完成したことで、南向発電所は運転を開始した[4]。南向発電所から伸びる送電線は大同電力のものであり、南向発電所で発生した電力は大同電力へと供給された[4]。154キロボルトもの高い電圧での送電は、伊那谷において初の試みであった[4]。その後、大久保発電所とともに矢作水力日本発送電を経て、中部電力が継承[6]。現在の出力は2万6,700キロワットである[7]

2015年に「南向発電所取水堰堤」として土木学会選奨土木遺産に選ばれる[8]

周辺

伊那市中心市街地から長野県道18号伊那生田飯田線伊那街道)を下、市となっている火山峠を越えると駒ヶ根市に入り、赤須峡を流れる天竜川沿いを進むと南向ダムである。南向ダム下流に架かる吉瀬橋の上からは、南向ダムの全景を望むことができる。

県道をさらに南下すると、飯島町を経て中川村に入り、同村の南端に位置する南向発電所にたどり着く。周辺はみなかた広場として開放されている。中川村では村営巡回バスを運行しており、JR飯田線伊那大島駅から巡回南回り線に乗車し、発電所前のバス停で下車すぐである[9]

南向発電所の建設を推進した天竜川電力の代表取締役福澤桃介は、南向発電所の完成を見る前に財界から退いたため、南向発電所は彼が最後に携わった水力発電所となった[4]。みなかた広場には彼の胸像「福澤桃介先生壽像」が置かれているが、これは1968年(昭和43年)になって復元されたものである[5]。初め1930年(昭和5年)に建立されたものの、戦争のため1944年(昭和19年)に供出されてしまったという歴史を持つ[5][10]。このほか、発電所の完成から70周年を記念して2000年平成12年)に6月に建立された詩碑や、南向発電所で1972年(昭和47年)から1988年(昭和63年)まで使用されてきた発電用水車が展示保存されている[11][12]。出力1万6,412キロワット、回転速度300 min-1のフランシス水車で、重さは5トンである[12]。建物の上方、河岸段丘を上がったところにある水槽の頂上部には「水然而火」(みずもえてひ)と書かれたレリーフがある[4]。これは水力発電で起こした電気と同じように人々の生活を支える礎となるという意味で、福澤桃介自らが好んで用いていた言葉である[13]。水槽からは、木曽山脈々と天竜川の流れが一望できる[4]

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ 所在地については「伊那谷の電源開発史」(『シンポジウム「中部の電力のあゆみ」第12回 講演報告資料集』17ページ)、座標については「ウォッちず」、着工年・竣工年については「伊那谷の電源開発史」、堤高・堤頂長・流域面積・電気事業者・発電所名については「水力発電所データベース」による(2012年3月17日閲覧)。
  2. ^ 「伊那谷の電源開発史」(『シンポジウム「中部の電力のあゆみ」第12回 講演報告資料集』14 - 16ページ)より。
  3. ^ a b 「伊那谷の電源開発史」(『シンポジウム「中部の電力のあゆみ」第12回 講演報告資料集』16 - 17ページ)より。
  4. ^ a b c d e f g h 「伊那谷の電源開発史」(『シンポジウム「中部の電力のあゆみ」第12回 講演報告資料集』17ページ)より。
  5. ^ a b c 「伊那谷の電源開発史」(『シンポジウム「中部の電力のあゆみ」第12回 講演報告資料集』18ページ)より。
  6. ^ 「大久保発電所の歴史と技術」(『シンポジウム「中部の電力のあゆみ」第12回 講演報告資料集』72ページ)より。
  7. ^ 水力発電所データベース」より(2012年3月17日閲覧)。
  8. ^ 土木学会 平成27年度度選奨土木遺産 南向発電所取水堰堤”. www.jsce.or.jp. 2022年6月9日閲覧。
  9. ^ 村営巡回バス 巡回南回り線時刻表」、「村営巡回バス路線図」より(2012年3月17日閲覧)。
  10. ^ 現地「福澤桃介先生壽像」碑文より。
  11. ^ 現地詩碑「水然而火」より。
  12. ^ a b 現地案内板「展示品の水車ランナについて」より。
  13. ^ 発電所の碑文」より(2012年3月17日閲覧)。

参考文献

  • 伊藤友久「伊那谷の電源開発史」『シンポジウム「中部の電力のあゆみ」第12回 講演報告資料集』中部産業遺産研究会、2004年。
  • 田口憲一「大久保発電所の歴史と技術」『シンポジウム「中部の電力のあゆみ」第12回 講演報告資料集』中部産業遺産研究会、2004年。

関連項目

外部リンク


南向発電所

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/17 17:22 UTC 版)

天竜川電力」の記事における「南向発電所」の解説

大久保発電所工事中1927年2月天竜川電力は南向発電所(北緯3536分38.3秒 東経13755分52.8秒 / 北緯35.610639度 東経137.931333度 / 35.610639; 137.931333)の建設着手する第三水力地点にあたり使用水量当初計画のままとしたが水路延長して落差増大させ、出力2万1,300キロワットから2万4,100キロワットへと増強している。所在地天竜川左岸の上伊那郡南向村大字葛島赤岩1927年9月大久保発電所との間を結ぶ送電線送電電圧22キロボルト)が運用開始してからは同発電所発生電力工事用いて本工事進め1929年昭和4年1月完成した運転開始同年2月上旬である。 南向発電所は、発電所上流14キロメートル地点天竜川横断するダム堰堤)を築造してここから取水し、約11キロメートル導水路により約80メートル有効落差得て発電する設計とされた。ダム水量調整機能持ち、この貯水により渇水期でも最大出力での発電1日4時間以上可能である。フランシス水車発電機を各3台(うち各1台は予備設置しており、水車はボービング (Boving) 製および電業社製、発電機ブラウン・ボベリ製および芝浦製作所製。また変圧器AEG製のものを設置した。 南向発電所の完成以降天竜川電力による発生電力はすべて大同電力へと供給された。同社発電所建設あわせて1929年2月山梨県日野春まで自社送電線東京送電線」(送電電圧154キロボルト)を新設し日野春釜無川変電所通じて東京電灯への電力供給開始した同送電線1930年昭和5年)に横浜市東京変電所まで延伸され、南向発電所から東京変電所までの全区間完成している。

※この「南向発電所」の解説は、「天竜川電力」の解説の一部です。
「南向発電所」を含む「天竜川電力」の記事については、「天竜川電力」の概要を参照ください。

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