天竜川電力の合併
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1928年(昭和3年)4月、矢作水力では初代社長の井上角五郎が引退し、相談役福澤桃介の長男で1922年4月から副社長を務めていた福澤駒吉が2代目社長に就任していた。駒吉の社長昇格と、阿知川での電源開発参入を機に、同じく駒吉が社長を務め、天竜川本流での電源開発を手掛ける天竜川電力株式会社との合併計画が浮上する。同社は大手電力会社大同電力の関係会社であり、天竜川開発を目的に1926年3月資本金5000万円で設立。大久保・南向両発電所(長野県)を建設し、大同電力へ送電していた。 1931年(昭和6年)3月、矢作水力と天竜川電力との間で合併契約が締結された。資本金1290万円の矢作水力に対し天竜川電力の資本金は5000万円であり天竜川電力の方が大規模であったが(払込資本金額も同様)、合併比率は1対1(対等合併)、存続会社は矢作水力側とされた。また合併と同時に矢作水力は8月末時点の株主に対し持株2株につき1株の割合で優先株式(12年間年率12パーセントを配当)を交付する、という形の増資も実施し、資本金を6935万円に引き上げている。この優先株式発行は、矢作水力の方が会社内容で優れていたが合併比率は1対1となったので、これによって生ずる矢作水力側の株主の不利を補うためのものであった。同年11月17日、矢作水力にて合併報告総会が開かれ天竜川電力の合併手続きが完了した。 南向発電所は送電電圧154kVの大同電力東京送電線の起点(終点は横浜市内の東京変電所)であり、矢作水力への合併後も引き続き大同電力への供給が続いた。南向発電所における大同電力への供給は、1937年末時点で2万5,520kWであった。
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