天竜川電源開発事業
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/01 02:25 UTC 版)
一方、水量が豊富で急峻な地形の天竜川は水力発電の適地であって、福澤桃介率いる天竜川電力(後に矢作水力となり、日本発送電に吸収)による水力発電計画が進められた。1935年(昭和10年)、天竜川本流に泰阜ダム(やすおかダム)が建設され、本格的なダム式発電所の建設が始まった。その後1936年(昭和11年)に支流の岩倉川に岩倉ダムが、天竜川にも平岡ダムの建設が開始された。だが、戦争の激化に伴い治水事業も利水事業も中止となった。 戦後、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)によって過度経済力集中排除法の指定をうけた日本発送電は1951年(昭和26年)に分割・民営化。これに伴って長野県内の天竜川水系は中部電力によって発電用水利権と水力発電施設が承継された。中部電力は戦争で工事が中断した平岡ダムを会社発足の年に完成させている。一方静岡県内は1952年(昭和27年)の電源開発促進法施行によって発足した特殊法人・電源開発株式会社によって大規模に進められた。1956年(昭和31年)に天竜川中流部に約3年の工程で建設された佐久間ダムは、高さ155メートルと当時世界で10番目に高いダムとなった。佐久間発電所から発電される電力は天竜川の包蔵水力の3分の1を賄い、天竜川における水力発電の中核施設となった。 この後1958年(昭和33年)には秋葉ダム(天竜川)、1969年(昭和44年)には水窪ダム(水窪川)が建設される等電源開発は進められるが、1972年(昭和47年)の新豊根ダム(大入川。国土交通省中部地方整備局)完成に伴う新豊根発電所は、佐久間ダムとの間で揚水発電を行うことによって最大出力112万5,000キロワットの発電を行う中部有数の水力発電所となった。1976年(昭和51年)の船明ダム建設で水力発電施設の建設は一段落付いたが、天竜川は日本有数の水力発電地帯となった。
※この「天竜川電源開発事業」の解説は、「天竜川」の解説の一部です。
「天竜川電源開発事業」を含む「天竜川」の記事については、「天竜川」の概要を参照ください。
- 天竜川電源開発事業のページへのリンク