天竜東三河特定地域総合開発計画とは? わかりやすく解説

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天竜東三河特定地域総合開発計画

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/01 02:25 UTC 版)

天竜川」の記事における「天竜東三河特定地域総合開発計画」の解説

天竜川電源開発だけではなく治水かんがい整備といった河川総合開発事業行われた契機となったのは1950年昭和25年)の国土総合開発法である。戦後疲弊した経済回復させるため第3次吉田内閣閣議決定国会で可決成立したもので、全国22地域対象河川開発工業地域開発かんがい整備事業が行われた。天竜川水系もこの法律対象地域指定され、天竜東三河特定地域総合開発計画としてまとめられた。まず開発対象になったのが三峰川みぶがわ)で、第一次三峰川総合開発事業手掛けられ1959年昭和34年建設省によって美和ダムが、長野県によって高遠ダム建設され三峰川洪水調節沿岸河岸段丘上の農地かんがい行った。 ところが1961年昭和36年6月の「昭和36年6月梅雨前線豪雨」、通称三六水害」は伊那谷壊滅的な被害もたらした。この時も天竜峡狭隘部で堰き止められ飯田盆地一面湖水のようになっている各地土石流崖崩れ家屋流失起こり死者130人、負傷者1,555人、被害総額1,200億円というものであった。この災害では小渋川からの洪水被害が特に甚大であったこのような水害から流域住民を守るためには根本的に治水計画が必要となり、建設省現・国交通省中部地方整備局)は天竜川水系1970年昭和45年)に一級水系指定し小渋川総合開発事業着手天竜川水系多目的ダム建設し治水・利水図ろうとした。1969年小渋ダム小渋川)を建設し美和ダムと共に天竜川ダム統合管理事務所によって総合的に運用した天竜川下流部治水においては1944年昭和19年掛塚側の東派川締め切り、そして1950年昭和25年)に天竜川西派川締め切り天竜川河道一本化。更に大入川新豊根ダム建設した長野県補助多目的ダム天竜川支流建設する計画進め松川ダム片桐ダム横川ダム箕輪ダム建設された。 利水に関しては、東海地方需要の増加に伴い豊川用水建設水資源開発公団(現・独立行政法人水資源機構)によって進められた。この中で水源佐久間ダム求めることとなり、佐久間湖から大入川頭首工経て豊川水系送水され、宇連ダム大野頭首工宇連川)を経て豊川用水通じ知多半島と共に水の便が悪かった渥美半島および豊橋市中心とした東三河地域供給している。ここにおいて佐久間ダム発電のみならず浜松市等の静岡県遠州地域愛知県東三河地域水がめとしても重要な役割を持つようになったこのように治水・利水に関して開発は進むが、1982年昭和57年)の水害天竜川はまたも大きな被害受けたこのため建設省第2次三峰川総合開発事業計画し美和ダム上流部戸草ダム建設計画佐久間ダムに関して2003年平成15年)の天竜川ダム再編事業計画洪水調節機能付加した多目的ダムとして再開発し、下流治水図ろうとしている。釜口水門についても、治水機能強化するために1988年昭和63年)に全面改築され、旧水門の3倍の洪水調節能力有するようになった

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