区長公選制と区長選任制
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1947年(昭和22年)に施行された地方自治法では、当初は市町村と同様に特別区の区長も公選とされていた。東京都の区においては、1946年(昭和21年)9月の東京都制改正によって従来東京都長官が官吏である書記官をもって任命するとしていた区長が区住民によって公選されるものに改められており、それが地方自治法下の特別区の区長にも引き継がれた。しかし1952年(昭和27年)の地方自治法改正によって特別区の独立性の制限と都への従属の強化が図られた。区長公選制も廃止されて、区長は区議会が都知事の同意を得て選任する区長選任制が導入された。 この区長選任制に関連して、渋谷区長選任贈収賄事件が起こった。これは1957年(昭和32年)6月から8月にかけて、渋谷区長の選任候補者らが複数の渋谷区議会議員に対し自らを区長に選任するよう働きかけ、現金の授受が行われたという贈収賄(汚職)事件で、特別区長公選制廃止事件とも呼ばれる。同年12月4日に起訴されて刑事訴訟となり、この訴訟中において、区長公選制廃止の合憲性が問われることになった。 1962年(昭和37年)2月26日の東京地方裁判所での一審判決では、一部被告の別件の都議選での選挙違反(告示前の戸別訪問)については有罪(執行猶予付き判決)としたものの、渋谷区長への選任をめぐる贈収賄事件については、区長公選制廃止そのものが違憲であるため「道義的には極めて高く非難するに値する」としながらも、罪状としては成り立たないとして無罪判決を下した。 これに対し検察側は上告、1963年(昭和38年)3月27日最高裁判所大法廷(跳躍上告審)では、区長公選制廃止は合憲であるとして、一審判決を破棄差戻しした。この最高裁判決の中では以下のとおり「特別区は憲法93条2項における地方公共団体であるとは認められない」という判断が示されたことが注目された。 特別区はその長の公選制が法律によって認められていたとはいえ、憲法制定当時においても、また昭和27年8月地方自治法改正当時においても、憲法93条2項の地方公共団体と認めることはできない。従って改正地方自治法が右公選制を廃止し、これに代えて区長は特別区の議会の議員の選挙権を有する者で年齢25年以上のものの中から特別区の議会が都知事の同意を得て選任するという方法を採用したからといって、それは立法政策の問題にほかならず、憲法93条2項に違反するものということはできない。 — 特別区長公選制廃止事件 跳躍上告審判決(昭和38年3月27日 最高裁大法廷判決)、京都産業大学公式サイト 1965年(昭和40年)以降は区長選任制が機能しないことが続き、後任区長が決まらない区が続出して区長が長期不在となる事態が発生した。自治権の拡充と独立性の強化を求める各特別区での動きや、美濃部革新都政下の住民運動の活発化もあり、1967年(昭和42年)に練馬区で区長準公選条例の制定請求運動が起こり、1972年(昭和47年)に品川区で、翌1973年(昭和48年)には練馬区と大田区で区長準公選条例が制定された。そのため1974年(昭和49年)に地方自治法が改正され、1975年(昭和50年)から区長公選制が復活した。 「区長準公選条例」も参照
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