区長として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/30 04:14 UTC 版)
経営コンサルタントなどの前歴を生かした施政運営については、東住吉区役所内部からもアイデアマンとして評価されていた。また、橋下徹の提唱する大阪都構想を実現するべく、区長プロジェクトチームのサブリーダーとして、大阪市を特別区に再編する際の区割案の叩き台を取り纏めていた。だが一方では、学校選択制の導入見送りを主張したり、区長の給与自主返納に一人だけ応じないなど、市の方針と意見を異にする場面も発生した。また、他の区長について「無能」と評するなど、暴言ととられかねない発言も口にしていた。 これに対して、市長の橋下徹は和田に対して「組織人としての適格性に欠ける」「態度や振る舞いに子供じみたところがあった」と批判し、重要な会議への欠席、担当部局との調整力不足、他の区長に対する暴言、などを理由に更迭する考えを表明した。それに対して、大阪市区長会は、和田を除く23名の区長にて協議し、当人が反省している点などを理由に、和田の続投を要望する文書を橋下に提出した。しかし、橋下の意思が変わることはなく、和田は区長から人事室付に更迭されることとなった。 後任の区長の公募は実施されず、大阪市の職員から選ばれることになった。その結果、大阪市役所市民局の区行政・市民活動担当部長や大阪市中央卸売市場の市場長を歴任した小倉健宏が就くことになり、同年4月1日付で就任した。
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