内務官僚を経て本所区長とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 内務官僚を経て本所区長の意味・解説 

内務官僚を経て本所区長

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 00:17 UTC 版)

太田實 (実業家)」の記事における「内務官僚を経て本所区長」の解説

小笠原島より帰京した後、明治12年12月20日には太政官出仕して海軍省の属員となったが、幾ばくもなくして、『明治日報』の主幹として勧誘され明治14年5月31日太政官辞した明治15年明治日報去って後、再び官僚として、明治16年1月17日内務省奏任御用被仰付衛生局勤務となり、同局報告課副課長経て12月衛生局統計課長務める。同年医師後藤新平衛生局採用され同輩として勤務している。明治18年6月には衛生局第三部報告課長務めている。翌19年8月25日東京府本所区長となる。 区長として主として教育普及企図し、各種学校施設の新増築推進した。すなわち、有志協賛によって江東幼稚園新築し、また中和小学校をはじめ明徳本所などの諸学校を増築し、さらに中和明徳の両校に附属幼稚園設けるなどを行った。あるいは、貧民就学困難な子弟教育するため、百方周旋し同志1200名と共同出資により「教育義社」を興した区長在職中力を教育用いたこと最も顕著であった。 さらに、同区有志の医師協力して種痘義社」なるものを新設し無料にて区民種痘勧奨した。そのほか区内有志から1万3千余円の寄付金集め公会堂新設し公共便に供した明治19年11月27日従七位叙せられる。 さらに、明治22年には交通往来の便を図るため、千葉県有志企業断念し廃絶していた総武鉄道事業喚起した同年5月市制施行され、いったん区長非職したが、6月改め東京市本所区長(2代目)選任された。いよいよ国会開設の日が迫ってきた明治23年1月本所区長を依願辞任する本所区小学生子女一千人がその功績後昆伝え記念として、校庭植え頌徳文誦した同年1月東京株式取引所肝煎就任明治23年1月25年1月2期務める)。2月には、本所区会議員議長推される。

※この「内務官僚を経て本所区長」の解説は、「太田實 (実業家)」の解説の一部です。
「内務官僚を経て本所区長」を含む「太田實 (実業家)」の記事については、「太田實 (実業家)」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「内務官僚を経て本所区長」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「内務官僚を経て本所区長」の関連用語

内務官僚を経て本所区長のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



内務官僚を経て本所区長のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの太田實 (実業家) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS