内務官僚、法学者として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 00:50 UTC 版)
「一木喜徳郎」の記事における「内務官僚、法学者として」の解説
1887年、内務省に入省。1890年(明治23年)、自費でドイツに留学して行政法を学ぶ。1894年(明治27年)、帰国して帝国大学法科大学教授となり、明治39年(1906年)に帝国学士院会員となる。法学者として天皇機関説を唱えるとともに、美濃部達吉らを育てた。法科大学教授(憲法国法第一講座担当)とともに、1900年(明治30年)10月まで内務省に勤め、大臣官房文書課、県治局員、参事官、参与官を歴任する。
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