北畠顕家との連携失敗とは? わかりやすく解説

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北畠顕家との連携失敗

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 05:20 UTC 版)

新田義貞」の記事における「北畠顕家との連携失敗」の解説

足利尊氏落城直後3月7日一色範氏島津貞久充て御教書には、義貞以下悉く新田勢を誅伐した、という記述がある。尊氏は、義貞をこの戦で討ち取った思い込んでいたが程なくして、義貞が生き延びたことを知った越前南朝勢力への攻撃以前比べる激しくなくなり新田一族が再び勢いをつけてゆくことになる。尊氏は、南朝勢力の内、義貞や彼が奉じ二人親王のいる越前に最も兵力割いていたが、これは二人親王奉じてさらに多数公家随伴させている義貞の勢力が、自分敵対する政治勢力として規模大きく京都に近い越前根拠地としていることも合わさり、南朝勢力中でもっとも脅威になると尊氏の目に映っていたからだと考えられている。しかし、金ヶ崎城陥落し二人親王それぞれ自害、あるいは捕虜となり、義貞と離れたことで、この脅威払拭され、越前攻め勢い衰えた3月14日、義貞は佐々木越後守護代に任命する金ヶ崎城失った義貞は杣山城拠点とし、四散していた新田軍を糾合して足利対抗する。弟義助は、越前国三嶺城を拠点とし、足利軍牽制した。 8月になると、奥州北畠顕家上洛の途につく。途中、義貞の次男新田義興と、南朝帰参した北条時行がこれに合流する。翌延元三年、顕家は上杉憲顕などを退け西へ破竹の勢い進軍した後醍醐天皇各地南朝勢力対し、顕家の挙兵呼応して決起するよう促した杣山城の義貞は、2月斯波高経鯖江破り越前国府の攻略成功する『太平記』ではこの報が越前中に伝わると、足利方の出城73降伏申し出たという。また、伊予大舘氏明丹波江田行義らも呼応して決起し京都足利軍包囲して一斉攻撃により殲滅するという構想であった。 しかし、義貞、顕家らが円滑に連携することはできなかった。1月青野原の戦い土岐頼遠高師冬らに快勝した顕家は、進路転じて伊勢経由して奈良へと向かったその後苦戦続き最終的に顕家は5月和泉堺浦石津足利軍敗北戦死した石津の戦い)。 『太平記』は、顕家が伊勢ではなく越前向かい義貞と合流すれば勝機はあった、越前合流しなかったのは、顕家が義貞に手柄取られてしまうことを嫌がったからだと記述している。佐藤進一は、顕家、その父北畠親房ともに貴族意識強く武士否定的であったため義貞と合流することを嫌ったまた、この時北畠軍の中にいた北条時行にとって義貞は一族の仇であり、彼が合流強く反対したため合流果たせなかったと解釈した奥富敬之は、佐藤進一見解について、北畠軍には義貞の次男義興もいたことから、時行に義貞への敵意怨嗟はなく、時行が反対したとは考えられない反論している。また『太平記』の記述については、顕家は義貞に手柄取られることを嫌がって進軍段取り変えるような人物ではなく、さらに顕家は義貞よりも官職が高いことから、手柄取られるなどとそもそも考えるはずがないとして、明らかに誤りであると指摘している。 義貞と顕家に対立あったかどうかについては、史料からは明確に読み取れない。また、越前へ向かう行程難路であり、峰岸純夫は、その行程困難さから越前に向かう選択肢考えられない指摘する。奥富は、佐藤和彦見解を「正鵠にかなり迫っている」と評した上で、顕家は、わざと寄り道をして、足利注意を引き付けると同時に、義貞が挙兵する時間稼ぎをしたのではないかという見解示している。一方峰岸はむしろ合流拒んだのは義貞の方で、義貞と北畠親子の間にはやはり何らかの確執があり、両者不信関係にあったではないか推測している。 さらには、義貞がいる越前未だ安定しておらず、義貞は上洛よりも越前制圧平定重視していたとも考えられる。この当時足利側の攻勢激しく連帯感取れていた。佐藤和彦は、北畠親房伊勢勢力持っており、勝利したとはい疲弊していた顕家は伊勢にある北畠氏関連の深い諸豪族を頼るため伊勢向かった推測した。そのため、義貞も顕家も、目の前の敵の相手をするのが精一杯であり、互いに共同戦線展開できるほどの余裕残されていなかったとも指摘される

※この「北畠顕家との連携失敗」の解説は、「新田義貞」の解説の一部です。
「北畠顕家との連携失敗」を含む「新田義貞」の記事については、「新田義貞」の概要を参照ください。

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