北畠流秋田氏(三春秋田氏、三春浪岡家)
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「浪岡氏」の記事における「北畠流秋田氏(三春秋田氏、三春浪岡家)」の解説
安東氏(秋田氏)に仕えた北畠慶好は安東愛季のもとに逃れ、秋田氏に仕え活躍し、秋田の名字を与えられ、季慶と改めた。子の代に一時的に秋田家中を離れたことはあったが帰参し、子孫は明治維新まで家老として存続し、分家が浪岡を名乗っていたが、維新後は本家も浪岡姓に復姓した。明治時代に末裔の浪岡具雄が北畠顕家の墓を創設した。なお北畠具雄の子孫は現在も三春町に在住している[要出典]。この秋田氏のもとでは浪岡氏に関する文献が編纂された。 三春浪岡家は、津軽浪岡御所が天正6年(1578)に滅びた後、秋田を頼って行った御所の一族北畠慶好を祖先として、代々秋田家から秋田の名字と「季」1字を賜り、藩家老職を世襲してきた家系で、明治時代になり、賜姓が行なわれず、浪岡を苗字とした。
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