北疆
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/06/07 14:18 UTC 版)
北疆は南疆の西に位置し、南北を天山山脈と崑崙山脈に挟まれ、クムル(ハミ)を東端としていた。1513年にクムルの統治者バーヤジードがトルファンのマンスール・ハーンに拉致されて以降、クムルはジュンガルの征服までチャガタイ家のハーンの支配下に置かれ、モグーリスタンは明王朝と国境を接するようになる。 北疆のトルファンを中心とする地域にはかつて仏教国が栄えていたが、イスラム勢力の拡大後はウイグル族が居住するようになる。そのため、北疆のオアシス都市を指して「ウイグルスタン」という単語が使われる。13世紀初頭に天山ウイグル王国の国王バルチュク・アルト・テギンがチンギス・ハーンに臣従した際、バルチュクはチンギス・ハーンから王国の旧領であるウイグルスタンの領有を認められた。13世紀半ばにモンゴル帝国が分裂すると、チンギス・ハーンの次子チャガタイの一族がウイグルスタンを領有した。 15世紀以降にウイグルスタンはモグーリスタン・ハン国の直接支配下に置かれるようになる。15世紀末にユーヌス・ハンの王子アフマドは、ウイグルスタンに独立した政権を樹立した。アフマドの建てた政権はウイグルスタン・ハン国あるいはトゥルファン・ハン国とも呼ばれる。
※この「北疆」の解説は、「モグーリスタン」の解説の一部です。
「北疆」を含む「モグーリスタン」の記事については、「モグーリスタン」の概要を参照ください。
- >> 「北疆」を含む用語の索引
- 北疆のページへのリンク