庄内平野の蝦夷反乱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/13 23:59 UTC 版)
「日本の古代東北経営」の記事における「庄内平野の蝦夷反乱」の解説
墓誌拓本(文末) 墓誌拓本(文頭) 大宝律令の施行から10年も経たず、東北地方の日本海側では蝦夷による反乱が発生していたようである。国宝『金銅威奈真人大村骨蔵器』に刻まれた銘文によると、慶雲2年(705年)頃に越後守威奈大村が越後北疆方面の蝦虜に対して仁政を施したという。「越後北疆の蝦虜」は庄内平野の蝦夷集団と解釈されており、当時は越後国に属していた庄内平野で小規模な騒擾が生じていたため、それを抑えるために大村が越後守として渟足柵に赴任して柔懐鎮撫にあたったものと推察される。
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