北東地方
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のちにロシアの中心地となった北東地方をルーシに含むのか、その地方の住民はキエフ・ルーシのルーシ人と共通する民族なのかについては諸説あるが、いずれにせよ、のちに帝国化したロシアにおいて「ロシアこそはルーシの正統な後継者」という自意識が形成され、ウクライナやベラルーシは14-15世紀にロシアから分岐したものという説が作られた。しかし、実際には北東地方は14世紀の時点ではまだモンゴル支配下での新体制作りの途上にあり、ルーシ意識は存在していなかった。もうひとつの中心地であったノヴゴロドでは、従来どおりルーシ諸公国一般とは異なる独自の支配体制と支配意識を保持していた。ウラジーミル・スーズダリのミハイル・ヤロスラヴィチ大公は1305年から「全ルーシの大公」の称号を使用したが、これは当時ウラジーミルを含むルーシの諸地方を「ローシア」(ルーシのギリシア語形)と呼んでいたビザンツ帝国との二国間関係が理由であった。全体として当時の北東地方の年代記はルーシについてあまり言及しておらず、支配者層である公たちのルーシ人としての自意識は、広く一般に共有されたものではなくビザンツやジョチ・ウルスなど対外関係に限定されたものであった。 ルーシの政治的な分裂状況の中、正教はルーシ諸公国を互いにつなぎとめる役割を果たし、ルーシは完全に崩壊するには至らなかった。このことは、政治状況によっては幾度かモスクワ国家とウクライナ・ベラルーシのルーシ人とのあいだにカトリックのポーランドに対立する同盟関係を成立させた。しかし、モスクワ国家が中央集権化するに従い伝統的なルーシ人のアイデンティティーは次第に変質していき、「ロシア人のアイデンティティー」に変容した。ロシア帝国(Российская империя、決して Русская ではない)が成立するまでに「ロシア」という名称が確立していき、帝国の成立以降、ルーシという名称は国号としても君主号としても正式なものとしては用いられなくなった。そして、キエフ・ルーシ以来のリューリク朝断絶の混乱を経てロマノフ朝が確立する頃には、大ロシア人のあいだからは伝統的なルーシ人としての意識は失われた。
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北東地方
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ロドーリル王国 王都はチェイス、王城はサンダークラップ、現国王は第14代ジューネIV世(女王)、騎士団は鉄の鎚騎士団。 周囲をバヤン山脈・マスラウム山脈・エストン山脈に囲まれた盆地に位置し、寒暖の差が激しく、農業には厳しい土地柄となっている。 「女王の国」と呼ばれるほどの国民の「絶対的な忠誠」を背景に現女王の即位と共に領土拡張を推し進め、瞬く間にファノン王国を始め周辺の小国を征服、「戦争王国」とも称せられる。その後十年かかって城塞都市プリシスを手中にした。これによりオラン・ミラルゴと国境を接することとなり、両国への脅威となっている。 度重なる対外侵略は街道の名前にも影響し、プリシスに至る「麦の街道」は「白刃の街道」に、バイカルに至る「青の街道」は「ひび割れし街道」へと名前を変えた。現女王は魔法を異様に嫌い、魔法の使用を禁止している。 現在は領土拡大の侵略が限界に達し、プリシスを侵略した“鮮血の将軍”ヒュードが率いる軍勢がオラン・ミラルゴ連合軍に大敗し、ジューネ女王がプリシス解放を宣言、ヒュードの首を敗戦の証として差し出しミラルゴ・オランと不戦条約を結んだ。北のバイカルからも軍を撤退。 バイカル 王都はボリス、王城はシルバーホエール、現王は第11代スノーリクII世、騎士団は銀鮫騎士団。 アレクラスト大陸の最北に位置する多数の部族からなる連合国家。「海賊王国」とも「海の国」とも呼ばれる。実質的な権力は、バイカル最大の部族の長で「海賊王」とも呼ばれるギアースが握っている。 プリシス 同名の都市国家で、王城はアンバーキャッスル、最後の国王は第14代セファイル、騎士団は琥珀の騎士団 10年余りに渡ってロドーリルの侵攻を退けてきた「城塞都市」だったが、迎撃戦を主導していた“指し手”ルキアルが新王国暦519年にロマールに招聘され、残されたセファイル王やマイリーの高司祭"砕ける事なき"ロンドバーグの奮戦も虚しく、ロドーリルに征服されてしまった。 ロドーリルがミラルゴ・オラン連合軍に敗れたことで解放され、滅亡した王族に代わって有力市民達が評議会を組織し、自治都市を宣言する。初代元首として“指し手”ルキアルがプリシスに戻り、自らを「頭領」と称した。 ごく親しい相手以外には自分の真の名を隠し、日常では偽名を用いるという独特の風習がある。ただし「国王は国民の最も親しき友であれ」との思想の下、国王のみは常から真の名を名乗る。
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