北東回廊南部: ニューヨークからワシントンまで
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ペンシルバニア鉄道の電化はさらに進展し、1932年12月8日からジャージーシティのターミナル駅であるエクスチェンジ・プレイス駅 (Exchange Place) とニューブランズウィックの間で電気運転が始まり、これによりニューヨークのペンシルベニア駅からの電気運転がマンハッタン・トランスファー駅より先まで延びることになった。1933年1月16日には残されたニューブランズウィックとトレントンの間の電化が完成し、これによりニューヨークからフィラデルフィア、そしてその先のウィルミントンまで完全に電化された都市間鉄道が完成した。ワシントンD.C.までの直通列車はウィルミントンまで架線の下を走ることになり、2月12日から機関車交換地点がマンハッタン・トランスファー駅からウィルミントンへ変更された。同様に、フィラデルフィアより西側へ走る列車についても、4月9日から機関車交換地点がパオリへ変更された。 ウィルミントンより南の電化については、世界恐慌のために1933年に延期されたが、ペンシルバニア鉄道は何とか連邦政府からの融資を受けることができたため、翌年から工事が再開された。ボルチモアのトンネルは造り直され、1935年2月10日からニューヨークとワシントンの間で電気運転が開始された。4月7日にニューヨーク - ワシントン間のすべての旅客列車の電気運転化が完成した。この時点で1日639本の列車が運転されており、このうち191本が電気機関車牽引で、448本が電車であった。ニューヨーク - ワシントン間の貨物列車の電気運転は、ニュージャージーとワシントンにおける貨物線が電化されるのを待って、5月20日から開始された。ポトマック川を渡ってポトマック・ヤード (Potomac Yard) までと、その沿線のいくつかの貨物支線の電化は1937年から1938年にかけて行われた。ポトマック・ヤード自体の電化は1981年まで遅れている。
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