出会いからデビューまで
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「THE STREET SLIDERS」の記事における「出会いからデビューまで」の解説
1974年 市川洋二、村越弘明が高校1年生の時同じクラスで出会う。 土屋公平、鈴木将雄は地元の小学校で出会うが、友達になるのは中学に入ってから。 1978年 最初、村越と市川は別々のバンドにいたが市川のバンドに欠員が出たため、ギターとして村越が加入。 1979年 11月3日、土屋と鈴木が大学のキャンパス・コンサートの楽屋で知人に紹介され村越と出会う。 12月24日、土屋が雇われマスターをつとめるロック喫茶メロンハウスに村越と市川が顔を出すようになり、自分達のバンドに土屋と鈴木を誘う。 1980年 2 - 3月、スタジオのセッションに土屋と鈴木が呼ばれる形で“The Street Sliders”が結成される。地元の楽器店や小さなライブハウスの出演から始める。。 5 - 6曲持ち歌ができた頃、地元の知人の紹介で福生にあるライブハウスのUZUや高円寺にあったレッド・クロス、吉祥寺のシルバー・エレファントといった小さなライブハウスにも出始める。 1981年 8月、新星堂 ロック・イン・コンテストにスライダーズで出場。グランプリを獲得。多くのレコード会社から契約の打診を受ける。 10月、SDオーディション(CBS・ソニーオーディション)にてスライダーズが東京地区最優秀グループ賞を受賞。 ソニーのSD部担当者がカセットテープに録音した新星堂のオーディションの模様をSDオーディションに出しており、それがEPIC・ソニー企画制作部チーフ・プロデューサー(当時)目黒育郎の目にとまる。 1982年 秋、映画『BLOW THE NIGHT 夜をぶっ飛ばせ』の主題歌と音楽をスライダーズが担当。冒頭のライブ・シーンではアマチュア時代にライブを行った新宿ACBが使われている。
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出会いからデビューまで
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「ゆでたまご」の記事における「出会いからデビューまで」の解説
小学4年生の3学期(1971年)、嶋田の通う大阪市立住之江小学校に中井が転入する。クラスは違ったが同じ団地に住んでおり、通学バスで時々乗り合わせる内に知り合った。小学5年生の時中井が嶋田の家に遊びに行った際、嶋田の描いた『キン肉マン』を気に入り意気投合した。 ともに大阪市立南稜中学校に進み、当時『週刊少年チャンピオン』で連載中だった藤子不二雄Aの『まんが道』の影響を受け漫画の合作を本格的に開始する。最初に描いたのがバトルアクション漫画『野獣の牙』で、これを始めとして野球、空手、純愛など様々なジャンルに挑戦する。当初は大学ノートにお互いが描き合うという形だったが、中学2年で『ラーメン屋のトンやん』を初めてペンで描き、これが近鉄漫画賞に入賞する。当時のペンネームは2人の名前を合わせた本山たか義(もとやま たかよし)。自作の漫画をクラスメイトに読ませていたが、嶋田が2019年頃Facebookを通じて約45年ぶりに再会した中学時代の友人は、「漫画の感想を言わないと怒るから、感想を求められるのがプレッシャーだった」と苦笑していたという。 二人とも勉強は全く力を入れていなかったため、当時落ちこぼれと不良の巣窟であった私立初芝高等学校に揃って進学。漫画家になることを目標に投稿を続けた。この頃から原作と作画をそれぞれ嶋田と中井が分担し始める。2人とも母子家庭で、高校を卒業すると就職のために漫画を描けなくなるということから、高校卒業までに漫画家になるという目標を持っていた。16歳の時、赤塚賞に『ゴングですよ』、手塚賞に『マンモス』(共にプロレス漫画)を投稿するも選外、しかし担当編集者がつくこととなった。
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