出会いとデビュー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/26 16:58 UTC 版)
「ピンク・レディー」の記事における「出会いとデビュー」の解説
中学、常葉高校(現・常葉大学附属常葉高校)時代に同級生だった二人は、1973年にヤマハ音楽が主催するオーディションにそれぞれ合格。授業料免除の特待生にも合格し、ヤマハボーカルスクールに通う事になる。講師の勧めで“クッキー”というデュオを結成し 歌手を目指していた。クッキー名義で1974年のポプコン東海地区大会決勝に進出し「恋のレッスン」を歌っている。デビューのきっかけとなったテレビ番組『スター誕生!』出演時は、二人おそろいのサロペットを着、素朴な雰囲気で登場。歌も、当時ほとんど無名に近かったフォークグループ、ピーマンの「部屋を出て下さい」を唄う事で逆に注目され、合格する(ピーマンのメンバーのうち、叶正子は後にコーラス・グループ「サーカス」のメンバーとして再デビュー)。 『スター誕生!』で、会社の方針に逆らいプロデビューへの道を拓いたのは、ビクター音楽産業の飯田久彦であった。歌手デビューに際し、全く異なるキャラクターにプロデュースされる。手足を露出したキラキラ光る生地のミニの衣装(デザイナーは野口庸子)と、リズムやビートを強調した曲調によって、田園風景が似合う素朴な二人組が派手な歌謡デュオになった。大胆に太ももを開いたりする激しくセクシーなダンスを行うことから、デビュー当初は成人向け深夜番組の出演が多かった。作曲家・都倉俊一は「カクテルのピンク・レディーに因み『ピンク・レディー』と命名したので『ピンク・レイディーズ』(複数形)にはしなかった」と述べている。 デビュー直後にはキワモノ的な見方もされたが、まずは当時の子供たちが振り付け(すべて土居甫の手によるもの)を熱心に覚えて真似をし始めた。そのため山本リンダに代表されるかつてのセクシー歌手とは対照的に、老若男女に幅広く人気を獲得することに成功。レコードが大ヒットするだけではなく、人気が高まるにつれ衣料品や文房具、食器、自転車や食品まで多くの業種のさまざまな商品に二人の姿がプリントされたキャラクターグッズが販売され、ピンク・レディーの存在は想像を絶する巨額の経済効果を派生させることになった。
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