出会いから結婚まで(昭和13年 - 昭和21年5月)
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「まんぷく」の記事における「出会いから結婚まで(昭和13年 - 昭和21年5月)」の解説
昭和13年(1938年)春の大阪、高等女学校を卒業したばかりの今井福子は、地元の大手ホテル「大阪東洋ホテル」への就職、数ヶ月後に控えた長姉・咲の結婚に胸をふくらませていた。電話交換室に配属され仕事に慣れるため懸命な日々を送るなか、母・鈴が突然腹痛を起こし、咲の結婚式の延期を懇願する。しかし鈴の腹痛は仮病であり、咲が家を出た後の福子との2人暮らしに心許なさを感じていたからだという理由に複雑な思いで過ごす福子だったが、職場では英語が堪能な事が認められフロント係に昇格する。そして福子から英語教育を続けてくれたおかげで昇進できたと感謝され、恩返ししたいと聞いた鈴は、咲の結婚を容認。結婚式は予定通り行われ、感動に包まれた宴となる。 昭和16年(1941年)、福子は咲の結婚式で幻灯機を貸してくれた業者・立花萬平と偶然再会する。後日、萬平からの申し出を受け交際を始めた福子だったが、鈴の猛反対、咲の結核による入院と死去、萬平が冤罪で憲兵隊に逮捕されるといった障害が次々と立ちはだかる。しかし、福子の同僚・女学校時代の友人らの応援、咲の夫・小野塚真一の後押し、萬平の友人・世良勝夫の協力で乗り越えて行く。彼らの説得や二人の揺るがぬ決意に鈴は折れ、昭和17年(1942年)萬平と福子は結婚する。 昭和19年(1944年)春、逮捕時の拷問の後遺症が元で徴兵を免れた萬平と暮らす福子は、戦火が大阪に近づいていることを察し、夫婦で鈴を連れて萬平のはとこが住む兵庫県の黒竹村に疎開する。穏やかな疎開生活を過ごすなか、萬平に赤紙が届くが、腹膜炎を発症し、回復後に徴兵されるも即日帰郷させられる。福子と鈴は安堵するが、萬平は周囲が国のために献身するなかで何もできないと自責する。昭和20年(1945年)8月に終戦を迎え、同年秋に帰阪した三人であったが、自宅は空襲で焼失したため、近くに住む次姉・香田克子の家に身を寄せる。物々交換や闇市へ私財を売るなどして喰いつなぐなかで世良と再会し触発された萬平は、戦争で身分を証明する術を失い困っている人が多いと聞き、印鑑の製造販売を始める。商売が軌道に乗り始めたある日、復員兵の神部茂が香田宅に空き巣に入る。萬平と福子に親切にされ親しみを持った神部は、克子の子どもたちの家庭教師として香田家に居候する。やがて克子の夫の忠彦が復員し帰宅、印鑑業も同業者の発生で下火となり、萬平と福子は世良が紹介する泉大津の倉庫で商売を始めるため転居を決意。話を聞いた鈴と神部も立花夫婦に同行することを決める。
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