出会いから結婚までとは? わかりやすく解説

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出会いから結婚まで(昭和13年 - 昭和21年5月)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 06:35 UTC 版)

まんぷく」の記事における「出会いから結婚まで(昭和13年 - 昭和21年5月)」の解説

昭和13年1938年)春の大阪高等女学校卒業したばかりの今井福子は、地元大手ホテル大阪東洋ホテル」への就職数ヶ月後に控えた長姉・咲の結婚に胸をふくらませていた。電話交換室に配属され仕事慣れるため懸命な日々を送るなか、母・鈴が突然腹痛起こし、咲の結婚式延期懇願する。しかし鈴の腹痛仮病であり、咲が家を出た後の福子との2人暮らし心許なさ感じていたからだという理由複雑な思いで過ごす福子だったが、職場では英語が堪能な事が認められフロント係に昇格する。そして福子から英語教育続けてくれたおかげで昇進できたと感謝され恩返ししたい聞いた鈴は、咲の結婚容認結婚式予定通り行われ感動包まれた宴となる。 昭和16年1941年)、福子は咲の結婚式幻灯機貸してくれた業者立花萬平と偶然再会する後日萬平からの申し出を受け交際始めた福子だったが、鈴の猛反対、咲の結核による入院死去萬平冤罪憲兵隊逮捕されるといった障害次々と立ちはだかる。しかし、福子同僚女学校時代友人らの応援、咲の夫・小野真一後押し萬平友人世良勝夫の協力乗り越えて行く。彼らの説得二人揺るがぬ決意に鈴は折れ昭和17年1942年萬平福子結婚する昭和19年1944年)春、逮捕時の拷問後遺症が元で徴兵免れた萬平と暮らす福子は、戦火大阪に近づいていることを察し夫婦で鈴を連れて萬平のはとこが住む兵庫県黒竹疎開する穏やかな疎開生活を過ごすなか、萬平赤紙が届くが、腹膜炎発症し回復後徴兵される即日帰郷させられる福子と鈴は安堵するが、萬平周囲が国のために献身するなかで何もできない自責する。昭和20年1945年8月終戦迎え同年秋に帰阪した三人であったが、自宅空襲焼失したため、近くに住む次姉香田克子の家に身を寄せる物々交換闇市私財を売るなどして喰いつなぐなかで世良再会し触発され萬平は、戦争身分証明する術を失い困っている人が多いと聞き印鑑製造販売始める。商売軌道に乗り始めたある日復員兵神部茂が香田宅に空き巣に入る。萬平福子親切にされ親しみ持った神部は、克子の子どもたちの家庭教師として香田家に居候する。やがて克子の夫の忠彦復員し帰宅印鑑業も同業者発生下火となり、萬平福子世良紹介する泉大津倉庫商売始めるため転居決意。話を聞いた鈴と神部立花夫婦同行することを決める。

※この「出会いから結婚まで(昭和13年 - 昭和21年5月)」の解説は、「まんぷく」の解説の一部です。
「出会いから結婚まで(昭和13年 - 昭和21年5月)」を含む「まんぷく」の記事については、「まんぷく」の概要を参照ください。

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