公判と誤った死刑執行
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 06:43 UTC 版)
「エヴァンス事件」の記事における「公判と誤った死刑執行」の解説
1950年1月11日、エヴァンスは娘の殺害について公判に付された(当時の法的慣習に従って、刑事訴追はジェラルディンの殺害についてのみ進められた。この殺人事件からの証拠は、ジェラルディンの殺害におけるエヴァンスの有罪を証明するために使用されることが許されていたけれども、ベリルの殺害は、すでにエヴァンスは正式に起訴されていたが、「ファイルに保管されて」(left on file)いた。エヴァンスの代理は、マルコム・モリス(Malcolm Morris)であった。彼は、事務弁護士との協議のあいだじゅう、クリスティが常に諸殺害の責任があると主張した。これは、公判における被告人エヴァンスの防御の基礎であったし、エヴァンスは死刑執行までこれを真実として主張した。その後の出来事は、エヴァンスの信念の正しさを確認するはずであった。 クリスティと彼の妻エセル(Ethel)は、検察側の鍵となる証人であった。クリスティは、自分がベリルの未出産の子を妊娠中絶する申し出をしたということを否定し、エヴァンスと彼の妻とのあいだの喧嘩について詳しい証言をした。被告人がわは、クリスティの犯罪記録に強い光を当てることによっていかに彼が殺人犯であるかを示そうとした。クリスティには、窃盗罪と故意の傷害の、幾件かの有罪判決があった。後者には、クリスティが女性の頭部をクリケットのバットで打ったことも含まれた。しかし彼の見かけ上の改心は、陪審を印象づけた。被告人がわも、なぜ、クリスティのような、立派な人物とされる人間が2人のひとを殺害したいと欲するか、その動機を見つけることはできなかったのにたいして、検察側は、エヴァンスの告白を、犠牲者らを殺したいと欲する、エヴァンスの動機として利用することができた。エヴァンスには犯罪記録は無かった。もし警察が庭を徹底的な捜索をして、クリスティの前の2人の犠牲者らの骨を見つけていたならば、公判はまったく行なわれなかったであろうし、連続殺人犯は殺人事件を起こさなかったであろう。しかしながら、供述を矛盾させるというエヴァンスの評判は、彼の信用性を致命的に、ひそかに掘り崩した。この評判は、いくつかの虚偽の告白を準備し、暴力をふるうぞと脅迫してエヴァンスにみずから罪に陥ることを強要して警察そのものによって作られた。事件は大部分が、結局はエヴァンスの言葉対クリスティの言葉となり、公判の流れはエヴァンスにとって急に不利になった。公判そのものは、わずか3日間、続いたにすぎず、多くの鍵となる証拠は省略され、または全く陪審に示されなかった。裁判官は最初からエヴァンスに対して偏見を抱いていたし、裁判官が陪審に与える事件の要点と法律上の論点の説示には、弁護側に対して偏見があった。彼は2日後に有罪と評決された--陪審はその決定に至るのにたった40分間を要した。首席裁判官(Lord Chief Justice)、ロード・ゴダード(Lord Goddard)、フレデリック・セラーズ(Frederic Sellers)、およびトラヴァース・ハンフリーズ(Travers Humphreys)に申し立てられた上訴が却下されたのち、エヴァンスは、1950年3月9日、、アルバート・ピアポイントと副執行人であるシド・ダーンリー(Syd Dernley)によって絞首刑に処せられた。 3年後にクリスティの諸殺害が露見したとき、エヴァンスの有罪判決の安全性はきびしく批判された。、死刑執行にさきだつ警察の事情聴取と精神医学者と面談のあいだじゅう、クリスティは自分がベリル・エヴァンスの殺害に責任があることをいくたびか認めた。もしこれらの告白が事実であるならば、ベリルに妊娠中絶しようという申し出を詳しく述べるエヴァンスの2回目の供述は、1949年11月8日にリリントン・プレースで起こった事件の事実版である。ルードーヴィック・ケネディは、どのように殺人事件が起き、どこで疑わないベリルが、妊娠中絶をしてくれると期待してクリスティをアパートメントに入れ、しかしそのかわりに襲われ、それから絞殺されたかの、ひとつのあり得る再構築を提供した。クリスティは、ことによると死後のベリルの身体と性的交渉をしたかもしれない(彼は、正確な細部を思い出せなかった)と主張したが、しかし彼女の検死解剖は、性的交渉の証拠を見出すことはできなかった。ベリルの死亡を認めた告白において、クリスティは、自分がベリルに妊娠中絶を実行することに合意したということを否定した。彼はかわりに、自分が彼女と肉体的に親密な間に彼女を絞殺したこと、あるいは彼女は自殺したがり、自分は彼女がそのようにするのを手伝ったということを、主張した。 ひとつの重要な事実がエヴァンスの公判において、提出されなかった:幾人かの作業員は、エヴァンスが複数の死体を隠したと主張される幾日か前に、洗濯所で作業したとき、彼らはそこにそれらが無かったことを証言することをいとわなかった。彼らは洗濯所に道具を保管し、その期間、屋根を修理した。もし彼らの証言そのものがあれば、エヴァンスの告白と主張されるものの信憑性について疑念を生じさせたであろうが、作業員らは証言するように呼ばれなかった。いやそれどころか、警察はふたたび作業員らにふたたび事情聴取をおこなって、彼らに、エヴァンスが単独殺人者であるという先入観に合うように証言を変えるように強いた。殺人者クリスティであれば、ベリルとジェラルディンの死体を一時的に空いている1階のフラットに隠し、それから作業員らが終った4日後にそれらを洗濯所に移動させたであろうに。クリスティは、1953年の自身の告白によれば、以前の、フウェルストとイーディの両者の殺害において同様の手口を使っていた。
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