公判中の被告人らの態度
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 15:49 UTC 版)
「大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件」の記事における「公判中の被告人らの態度」の解説
一方で加害者らが犯行当時少年だったため、事件の被害者遺族たちは事件当初の報道では加害者たちの実名を知ることができず、公判日程もわからなかった。そのような中で被害者Cの両親は第3回公判以降、(仕事帰りを含めて)月2回ほど法廷へ通った。 主犯格の被告人3人は取り調べ・刑事裁判の当初は反省のない態度を見せており、被害者遺族から怒りを買っていた。また3被告人は被害者への殺意を否認したほか、証人陳述の際には自分たちが有利になるよう「凶器の鉄パイプが左右どちらに置いてあったか」などについて争ったが、Cの父親はそれらの主張を「どうでもよいことにこだわっている」「現実に4人も殺しておいて殺意を否認するなど盗人猛々しい。C・Dを連れ回している途中にコンビニに立ち寄っても2人を解放しなかったばかりか凶器を盗んだ時点で、2人を殺すことしか念頭になかっただろう」と批判していた。 これに加え、被告人HMは獄中で死刑廃止を求める市民団体のメンバーになったほか、後述のように『週刊文春』(文藝春秋)の記事について「自分の実名が類推される仮名が使用されており、少年法の趣旨に反する」として、発行元・文藝春秋に対し民事訴訟を起こした。この訴訟は被害者遺族の感情を逆撫でする結果となったが、これに対しHMは「実名を推測できる報道により、触法少年がどう更生していくか心のやり場がなくなる。少年法が守られないのはおかしい」と反論した。訴訟の一・二審では原告(被告人HM)が勝訴したが、2003年に最高裁で破棄差し戻しの判決が言い渡され、2004年に敗訴が確定した。一方で3被告人の公判に証人として出廷した共犯少女Y子(長良川事件の際にKM・HMを制止しようとした)は法廷でC・D両被害者が殺害される際の様子を泣きながら証言したほか、木曽川事件の証人として出廷した共犯少女Wは泣きながら「あんたら、『人を殺した』って自覚があるの?」と3被告人を詰問していた。 論告求刑公判直前の2000年11月には情状証人として被告人HMの姉(義母を殺害された犯罪被害者遺族でもある)が出廷し、弁護人から心境を問われて「最初は弟が許せなかったが、できれば人生をやり直すチャンスを与えてほしい。もうこれ以上人が死ぬのは嫌だ」と訴えた。またこのころ(判決直前)には被告人3人の態度が変化し、全員がキリスト教徒の説話を受けたほか、最終弁論の際には「生きて償いたい」「キリスト教の洗礼を受ける」などと発言したが、被害者遺族は逆に「反省・謝罪の態度は刑の減軽を勝ち取るためだ」と受け取り、さらに嫌悪感を強めていった。
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