公判と再審理
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/03 20:45 UTC 版)
「ハリエット・ストーントン殺人事件」の記事における「公判と再審理」の解説
9月に、ストーントン家の人々とアリス・ローズは、ハリエットの謀殺の罪で、裁判官ヘンリー・ホーキンス(Henry Hawkins)がつかさどり、オールド・ベイリーで公判に付された。事件はおおきな関心をあつめ、着飾った貴婦人らは被告人をオペラ・グラスでじろじろとながめ、シャンパンを楽しんだ。エドワード・ジョージ・クラーク(Edward George Clarke)にひきいられた弁護側は、ハリエットの栄養失調はアルコール依存症による拒食が原因だ、と主張した。医学的証拠もまた提出されたが、それは、犠牲者は髄膜炎および結核で死亡したとした。陪審は、被告人4人全員に有罪の評決をくだし、彼らは絞首による死刑の判決を言い渡された。評決が読み上げられると、パトリックは「けいれんをおこしたようにひきつり」("twitched convulsively")、いっぽうで、ルイスは「眼を見開いてじっと見つめ」("stared fixedly")、「かんぜんにぼうぜんとしていた」("completely dazed")。寒く霧深い天候にもかかわらず、大群衆が法廷の建物をとりかこみ、評決に喝采をおくった。ふとした文のなかで、ホーキンスは、この犯罪は記録上いちばん「黒くひどい」("black and hideous")ものの1つであると言い、信じられない「蛮行」("barbarity")と残酷行為に意見を述べた。 評決につづいて、専門の医学的な証拠が無視されたやりかたにかんして抗議する、700人の内科医が署名した書簡が、『ランセット』に公表された。ホーキンスが被告人にたいする偏見をしめしたとひろく考えられた。評決に反対する運動は、小説家チャールズ・リード(Charles Reade)によってみちびかれたし、事件は内務大臣R・A・クロス(R. A. Cross)によって再審理された。アリス・ローズは恩赦によってただちに釈放された一方、のこり3人は終身刑に減刑された。パトリックは獄死した一方、エリザベスは1883年に釈放された。ルイスは1897年に釈放された後も無実を主張し、オーストラリアに移住した。
※この「公判と再審理」の解説は、「ハリエット・ストーントン殺人事件」の解説の一部です。
「公判と再審理」を含む「ハリエット・ストーントン殺人事件」の記事については、「ハリエット・ストーントン殺人事件」の概要を参照ください。
- 公判と再審理のページへのリンク