修辞学
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修辞学では、アイロニーとは、本当の考えや意図と違う考えをほのめかすことによって伝えることである。この際には、たとえばほめ殺しのように、誇張法が多く用いられる。その多くの場合は、他人を嘲笑することや諷刺することを目的としている。また、ドラマティック・アイロニーという使われ方がある。これは、観客が知っている真実を喜劇に登場する人物だけが知らず、登場人物たちが右往左往する様子を滑稽として笑うという点で、真実を隠すという意味で「アイロニー」である。
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修辞学
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/26 23:46 UTC 版)
疑惑法は話し手が自分の位置についての(多くは偽りの)疑問を表す、あるいは聞き手に修辞学的にどのように進むべきかを尋ねる修辞技法でもある。dubitatio とも呼ばれる。たとえば、次のようなものである。 私が当惑しているのは、君と君の家族を説得するものが欲しいからではなく、どこからか始めるかなんだよ。最初に話すべきは、君の父上の Tromes がテセウス神殿の近くで文法を教えていた Elpias の奴隷だった時、どのように足かせと首をつけていたかについてだろうか? それとも君の母上が英雄 Calamites の近くの離れ家で、日々繰り返される結婚生活によって、どのようにこの高貴なお方、熟達した脇役役者を養ったかについてだろうか? — デモステネス『冠について』(On the Crown)129
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修辞学
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 05:01 UTC 版)
イソクラテスの修辞学教育のプログラムは、絶対の真実を得ることができない、現実的な問題や事件に対処するための言語使用能力に重きを置くものだった。さらに、国家に奉仕するための生徒の公民教育、訓練にも重きを置いた。生徒たちはさまざまなテーマについて、弁論を組み立て・述べることを練習した。イソクラテスは修辞学の法則・理論より、生まれつきの才能と練習とが重要であると考えた。変化のない法則を正確に叙述するよりは、カイロス(καιρός, kairos)、つまり、時と場合に応じた雄弁家の能力を力説した。 ソフィストに対するプラトンの攻撃のために、イソクラテスの弁論術・哲学学校は、非倫理的で欺瞞的であるように見られるようになった。しかし、プラトンの批判の多くは、イソクラテスの仕事の中に見付けることは難しく、結局プラトンはその著書『パイドロス』の最後で、ソクラテスにイソクラテスを讃えさせている。イソクラテスは理想的な雄弁家は修辞学の才能を持つだけでなく哲学・科学・芸術の幅広い知識を持つべきだと理解していた。さらに雄弁家は自由・自制・徳のギリシアの理想をも象徴しなければならないとも。その意味で、イソクラテスはキケロやクインティリアヌスといった古代ローマの修辞学者たち、さらにリベラルな教育概念に影響を与えた。 修辞術について、イソクラテスは革新者でもあった。イソクラテスは不自然さを避け、明確で自然なスタイルを奨励した。一方で、聞き手の注意を集めるリズムと変化をもたらした。ほとんどの修辞学者たちと同様に、彼は修辞学を、真実を曖昧にするものとしてではなく、むしろ理解しやすくする方法と見ていた。 古代ローマ時代に入手できたイソクラテスの60ある演説文のうち、21が古代と中世の写本筆写家によって残された。別の3つの演説文が、1988年にエジプトのDakhlehオアシスの遺跡の1つ、Kellisから発掘された1冊のコデックスの中に見つかった。イソクラテスの名前で書かれた手紙が9通あるが、そのうち4通は信憑性が疑問視されている。イソクラテスは『修辞術』という論文をまとめたと言われるが、それは現存していない。演説文やその他の著作の中には、自叙伝的な『アンティドシス(財産交換について)』や、『ソフィストたちに対して』といった教科書も含まれる。
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