修身の成立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/27 23:04 UTC 版)
学制の中では、道徳教育は「修身科」が担うことになっており、以後、1945年までこれが続いた。これにより、小学で「修身」、中学で「修身学」という教科が置かれることになっていたが、実際には下等小学の低学年に「修身口授」という教科が全授業時間数の3%程度置かれただけであった。さらに、その授業形態は教師の談義や口述によるものであり、教科書はほとんどが欧米の倫理書等の翻訳本で、内容も法律書のようであり、児童が容易に理解できるものではなかった。ただ、東京師範学校刊行の『小学校生徒心得』(1873) は児童・生徒に対する日ごろの心得を教えたものであったという点でこれらの教科書とは違ったものであった。 西洋の翻訳教科書とはいえども、1873年に氏子調規則が廃止されるまで邪宗門(キリスト教等)は禁止されていたため、例えば『民家童蒙解』では原書でキリスト教に基づくものが、訳書で東洋思想に基づくように置き換えられている。 このように、学制においての道徳教育(修身科)は民衆にとって実生活に直接関連したものであったとはいえず、あまり重要視されてはいなかった。そして、このような性格を持ったこの時期の修身科は後に教育の重要性が叫ばれるようになると批判の矢面に立たされることになった。ともあれ、このような問題点を抱えつつも、学制において道徳教育は「修身科」という教科の一つとして開始されたのである。
※この「修身の成立」の解説は、「修身」の解説の一部です。
「修身の成立」を含む「修身」の記事については、「修身」の概要を参照ください。
- 修身の成立のページへのリンク