修身教材「飛田と福井の友情」
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「那珂湊反射炉」の記事における「修身教材「飛田と福井の友情」」の解説
第二次世界大戦前の修身の国定教科書には、「友だち」と題した飛田与七と福井仙吉の物語が掲載されていた。煉瓦職人として那珂湊にやってきた福井は「煉瓦の神様」と讃えられるほどの技術者であったが、酒好きが災いし、安政3年(1856年)に酒席で上役と口論になり、江戸藩邸預かりの処分を受けた。この時、竹下清右衛門と飛田は、福井と再び一緒に仕事ができるよう反射炉の近くにある岩間稲荷に祈願した。すると祈りが通じたのか、福井は許されて那珂湊に戻った。戻った福井は断酒し、以前にも増してまじめに働き、苗字帯刀も許された。これを喜んだ竹下・飛田・福井の3人は岩間稲荷に石段を寄進し、竹下は本殿箱棟の板裏にその経緯を記した文章を綴って奉納した。この奉納文は、1921年(大正10年)に再発見されるまで、世に知られていなかった。
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