伽耶院
| 名称: | 伽耶院 | 
| ふりがな: | がやいん | 
| 名称(棟): | 本堂 | 
| 名称(ふりがな): | ほんどう | 
| 番号: | 1967 | 
| 種別1: | 近世以前/寺院 | 
| 国宝重文区分: | 重要文化財 | 
| 指定年月日: | 1975.06.23(昭和50.06.23) | 
| 員数(数): | 1 | 
| 員数(単位): | 棟 | 
| 代表都道府県: | 兵庫県 | 
| 都道府県: | 兵庫県三木市志染町大谷 | 
| 所有者名: | |
| 指定基準: | |
| 管理団体名: | |
| 管理団体住所: | |
| 管理団体指定年月日: | |
| 構造形式: | 桁行五間、梁間五間、一重、寄棟造、本瓦葺 | 
| 時代区分: | 江戸前期 | 
| 年代: | 正保3(1646) | 
| 解説文: | 伽耶院は法道上人の開創と伝える天台宗寺院で、慶長十四年(一六〇九)に焼失したあと再興されたのが現在の伽藍である。 本堂は慶長十五年、多宝塔は正保五年の建立になり、三坂明神社本殿もその頃の建立で当時の鎮守社である。 これらは近世再興時の主要建物でよく時代の特色を示している。 なお、本堂内宮殿も同時代のものである。 | 
伽耶院
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/09/24 23:08 UTC 版)
| 伽耶院 | |
|---|---|
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       本堂と多宝塔(ともに重要文化財)
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| 所在地 | 兵庫県三木市志染町大谷410 | 
| 位置 | 北緯34度48分20.1秒 東経135度03分31.9秒 / 北緯34.805583度 東経135.058861度座標: 北緯34度48分20.1秒 東経135度03分31.9秒 / 北緯34.805583度 東経135.058861度 | 
| 山号 | 大谷山(おおたにさん) | 
| 宗旨 | 天台宗系修験道 | 
| 宗派 | 本山修験宗 | 
| 本尊 | 毘沙門天(重要文化財) | 
| 創建年 | 伝・大化元年(645年) | 
| 開山 | 伝・法道仙人 | 
| 開基 | 伝・孝徳天皇(勅願) | 
| 正式名 | 大谷山 大谿寺 伽耶院 | 
| 札所等 | 新西国三十三箇所第26番 | 
| 文化財 |  本堂、多宝塔、三坂明神社本殿ほか(重要文化財) 開山堂(県指定有形文化財) 行者堂、二天門、木造不動明王立像ほか(市指定有形文化財)  | 
    
| 公式サイト | 伽耶院 | 
| 法人番号 | 1140005006110 | 
伽耶院(がやいん)は、兵庫県三木市志染町大谷にある本山修験宗の寺院。山号は大谷山(おおたにさん)。本尊は毘沙門天。山伏の寺として知られる。新西国三十三箇所第26番札所。
歴史
寺伝では孝徳天皇の勅願寺として、大化元年(645年)に法道仙人によって創建されたとされている[1]。以来大谿寺(だいけいじ)と称し、また東一坊(といちぼう)とも称した[1]。
法道仙人は天竺(インド)から雲に乗って日本に飛来したとされる伝説的な人物である。現在の兵庫県南部を中心に法道開基伝承をもつ寺院が点在することから、「天竺から飛来」云々はともかく、モデルとなる山岳修行者が存在したことは想定される。法道開基伝承をもつ他の寺院と同様、当院についても草創の正確な時期や経緯については判然としない。
平安時代中期には数十の堂宇と百三十余の坊舎をもち、花山法皇の行幸があったと記されるなど隆盛を極めた[1]。
安土桃山時代に戦われた羽柴秀吉の三木合戦において、当山に別所長治方の陣が置かれたことによって兵火に掛かって大被害を受け[1]、次いで慶長14年(1609年)には失火が発生し、城塞のような石垣を残して全山焼失した[1]。現存する堂塔は慶長15年(1610年)以降の諸国大名の寄進によるものである[1]。
延宝9年(1681年)に後西上皇の勅によりインドの仏陀伽耶(ブッダガヤ)に因んで伽耶院と改めた[1]。
中世以降、聖護院末の修験寺院として勢力をもち、江戸時代には天台系山伏を統率する四院家のひとつとして修験界に威をふるった[1]。現在も10月の体育の日には、各地から多数の山伏が参集し、近畿地方では最大の規模を誇る採燈大護摩が行われている[1]。
なお、入山料は「草ひき十本」となっている[2]。
境内
- 金堂(本堂、重要文化財) - 慶長15年(1610年)再建との伝えもあるが[3]、解体修理時の所見や墨書等から正保3年(1646年)の再建と思われる。毘沙門天像を安置する。内陣と外陣を格子戸と欄間で分けた密教仏堂形式。
 - 三坂明神社(重要文化財) - 祭神:三坂大明神。鎮守社。伝えでは慶長15年(1610年)再建であるが[4]、正保年間(1645年 - 1648年)再建。
 - 多宝塔(重要文化財) - 正保4年(1647年)に豊前国小倉藩主・小笠原忠真による建立。弥勒菩薩を安置。相輪は失われていたが1985年(昭和60年)に復元された[5]。
 - 臼稲荷社 - 台座が奉納された石臼でできている。
 - 開山堂(兵庫県指定有形文化財) - 明暦2年(1656年)に丹後国峰山藩主・京極高供による建立。法道仙人像を安置。堂内部の壁面には極彩色で飛天が画かれたりしており、当院では最も華麗な堂となっている[6]。
 - 行者堂(三木市指定有形文化財) - 寛永8年(1631年)に土佐藩主・山内忠義による建立。役行者像を安置[7]。寛文2年(1662年)に現在地に移築。
 - 二天堂(中門、三木市指定有形文化財) - 慶安4年(1651年)再建[8]。持国天・多聞天の二天像(慶安年間の作)を安置。
 - 水子地蔵石仏群 - 庫裡裏手の山すそ一帯が水子供養のための賽の河原となっており、昼なお暗い雑木林の谷間におびただしい数の地蔵が安置されている。
 - 庫裡 
    
- 表門
 
 - 仁王門 - 大正時代の再建。もしくは1928年(昭和3年)再建。羽柴秀吉の焼き討ちの際、頭部と脚部を焼失した行基作とされる仁王像を安置する[9]。
 
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    仁王門
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    二天堂
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    表門
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    本堂
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    多宝塔
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    三坂明神社
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    左から本堂、三坂明神社、多宝塔
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    開山堂
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    護摩道場と行者堂
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    臼稲荷
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    石像群
 
文化財
重要文化財
- 伽耶院 3棟 
    
- 本堂(金堂) 附:宮殿
 - 多宝塔
 - 三坂明神社本殿 附:石燈籠 2基
 
 - 木造毘沙門天立像 - 平安時代末期。
 
兵庫県指定有形文化財
- 開山堂
 
三木市指定有形文化財
その他
- 弁財天 - 元禄9年(1696年)の胎内納入文書あり。八臂の坐像。
 - 愛染明王 - 室町時代。
 - 千手観音 - 寛文12年(1672年)の年記と洛陽大佛師運松作の墨書がある
 - 薬師如来 - 江戸時代、厨子内に安置。
 - 十一面観音
 
行事
   前後の札所
所在地
- 兵庫県三木市志染町大谷410
 
アクセス
拝観情報
- 入山料 - 草ひき十本
 - 内陣仏像拝観 - (電話要予約)拝観料志納
 
周辺情報
   - 伽耶院前の川岸の露出した断層(神戸層群)には柱状節理の岩石を観ることができ、名所になっている。
 - 千体地蔵
 - 岩屋の金水
 - 御坂サイフォン橋
 - 三木城跡
 - 三木市立金物資料館
 - 金物神社
 - 呑吐ダム(衝原湖)
 - 広野ゴルフ倶楽部
 - NESTA RESORT KOBE
 - ひょうご情報公園都市
 - 兵庫県立三木防災公園
 - 箱木家住宅(千年家)
 - 道の駅淡河
 
脚注
関連項目
外部リンク
固有名詞の分類
- 伽耶院のページへのリンク