他の仏教建築とは? わかりやすく解説

他の仏教建築

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 14:39 UTC 版)

院政期文化」の記事における「他の仏教建築」の解説

斜面や崖に張り出して造られ、床の一部長い支えられ建物懸造呼び江戸時代初期清水寺本堂が有名であるが、この特異な形式生まれにあたって神仏習合なかでも山岳仏教より生まれた修験道影響甚大である。院政期にあっては三仏寺投入堂がことに著名である。 蓮華王院本堂通称三十三間堂)は横に長く、千一体の千手観音像を安置したもので、阿弥陀堂ではないが大型化した九躰堂タイプ見なしてよい。 三仏寺奥院鳥取県三朝町国宝三仏寺投入堂ないし三仏寺蔵王堂として知られる天仁元年1108年)ころに建造され天台宗三仏寺奥の院にあたり断崖のくぼみのなかに足場組んだ懸造小規模な堂である。中国山地つらなる三徳山山腹岩窟内に位置し従前より修験道の祖とされる役小角役の行者)が、空中から建築資材投げ入れて造った伝承されてきたため、「投入堂」の呼称がある。堂内には修験生んだ日本独自尊像である蔵王権現祀っている。 蓮華王院本堂三十三間堂)(京都市東山区国宝平治の乱ののち、平清盛後白河上皇信任得て法住寺御所近く蓮華王院造営しその本堂(三十三間堂)に千一体の千手観音像を安置するとともに宝蔵には古今東西宝物納めた。ここには、多く絵巻物制作今様蒐集など芸能中心に立ち続けた後白河法皇膨大なコレクション納められていた。 當麻寺本堂奈良県葛城市国宝當麻寺曼荼羅堂とも。寄棟造本瓦葺棟木墨書銘から永暦2年1161年)の建造であることが判明した(ただし、それ以前前身堂の部材も再用されている)。『当麻曼荼羅』を祀っている。 鶴林寺太子堂兵庫県加古川市国宝鶴林寺聖徳太子創建伝えられる天台宗寺院であり、太子堂当初法華堂として建造された。宝形造檜皮葺で、屋根板墨書より天永3年1112年)の建造であることが判明した念仏三昧修する常行堂平安時代末期建造とみられ、重要文化財指定されている。 平安時代の塔建築では、最初に宝塔大塔といった新形式の導入がみられたが、現存する遺構層塔形式のみである。層塔建築では、従来心柱地下もしくは地上据えていたものが、浄瑠璃寺三重塔一乗寺三重塔以降三重塔では、心柱はすべて初重天井上のから立つようになる。これは初重の内部空間広く使うためと考えられる浄瑠璃寺三重塔京都府木津川市国宝浄瑠璃寺は、山城大和の境をなす山中にあり、上述「九体阿弥陀堂」で知られている。三重塔治承2年1178年)に京都一条大宮から現在地移されたもので、三間三重塔婆、檜皮葺で、本堂と池をはさんで建っている。初層内は扉の釈迦八相四隅十六羅漢図などが装飾文様とともに壁面埋めている。 一乗寺三重塔兵庫県加西市国宝一乗寺播磨国北東山間部所在し多く堂塔重要文化財指定されている。三重塔は、頂部伏鉢ふくばち)の銘より承安元年1171年)の建造であることが判明した心柱が初層の天井裏止まり板床となるその上に中央一間仏壇構えており、四面に縁をめぐらした平面形状および構造鎌倉期以降三間仏堂思わせる。これは、平安中期までにはみられなかった特色である。

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