二度の延期を越えた復活開業
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 13:00 UTC 版)
「河戸駅」の記事における「二度の延期を越えた復活開業」の解説
広島市は2011年(平成23年)2月3日、可部線で2003年に廃止された区間のうち可部駅から廃止区間にある河戸駅西側に設置される予定の新駅までの約2kmを電化して復活させる方針を固めたことを明らかにし、JR西日本と合意した場合は、路線復活となることになった(厳密に言えば、廃線跡を活用した路線新設)。廃止されたJR路線が復活するのは全国でも初めてのケースになる。計画では広島市と国が建設費の大半を負担して、2013年度(平成25年)中の完成を目指して2011年度(平成23年)中に着工。また可部駅と新駅の中間にも別の新駅を設置する。路線復活時に不要な通信ケーブルに関しては除去する予定にしている。 同年2月16日のJR西日本広島支社長による記者会見で、電化復活に関して広島市と11年度の早い段階で合意するのが望ましいとする考えを協調した。事業費に関して、以前の報道で既に出ている広島市と国が事業費の大半を負担。JR西日本が維持管理費を負担する方向で話を進めている事を明らかにした。その時の会見で出てきた課題として、1度廃線していることで、復活は路線の新設扱いになり、路線新設の場合、原則として新たな踏切設置が出来ないとして、どう処理していくか広島市や国土交通省と協議していかないといけないことを明らかにした。 同年2月26日には、広島市による終着駅の整備の概要が明らかになり、荒下県営住宅跡地に建設する意向で調整している。跡地の整備計画は、前年12月に住民グループが出した意見に基づいた物になっている。なお、荒下県営住宅跡地は、老朽化が進行する広島市立安佐市民病院の移転先として、検討されていることが2012年3月に判明。2013年1月に、『移転案』『現敷地建て替え案』が発表された。紆余曲折を経て、現在は2022年度にほとんどの設備を移転して開院予定となっている。 『可部駅・河戸駅間電化促進期成同盟会』は、2011年(平成23年)3月31日に当初の目的を果たした事で解散。元メンバーは同年4月末に、可部地区の自治会や住民などで構成・結成される『JR可部線利用促進同盟会(仮称)』に参加すると報じている。同盟会は、長井地区の自治会が昔からあった神社『伊勢社』を、可部線の電化延伸の方針を受けて『長井ふたたびの宮』と改称し、宣伝していくと報じられた。 2013年2月1日に、JR西日本と広島市は、2015年春頃に県営荒下住宅跡地まで、廃線跡を活用して電化延伸(電化復活)させることに合意。同月4日に正式発表された。その後、踏切の設置箇所調整に手間取ったことで開業時期が1年延期されることとなり、2016年春開業目標に同年11月28日にJR西日本が許可申請を行い、2014年2月25日に事業許可が出された。最終的に、対象区間にあった6箇所の踏切のうち、2箇所を廃止。(1箇所は替わりの地下道を設置することとされていたが、結果的には跨道橋となった。)1箇所を移設。残り3箇所をそのまま使う(うち1箇所は立体交差化工事が終わるまでの暫定設置)形となった。しかし、今度は広島市が駅建設用地の取得に当たり、地権者毎に土地の境界を確定する作業に予定より時間がかかり、予定していた2014年内の用地取得が半年ずれる見込みで2016年のダイヤ改正に間に合わず、2017年春まで再度の延期となった。 2016年12月、『長井ふたたびの宮』の近くに、旧河戸駅の待合所が移設・復元されて保存された。 2016年7月8日、JR西日本は営業再開に際して設置する駅の名称を、中間駅を河戸帆待川駅、終着駅をあき亀山駅とすると発表し、2017年(平成29年)3月4日のダイヤ改正により、廃止から13年3か月、市の復活方針決定から6年1か月を経て、可部 - あき亀山間が復活した。 なお河戸以北の観光鉄道としての復活開業計画は、可部線#可部駅 - 三段峡駅間の廃止にもあるように中断。一部区間では線路および駅舎などの撤去が行われている。
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