二度の外遊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 02:19 UTC 版)
皇后は海外経験が無く外遊を強く希望しており、これを知った高松宮妃喜久子が吉田茂元首相を介して佐藤栄作首相に、来日したベルギー王弟アルベール王子を介してベルギー国王ボードゥアン1世にそれぞれかけあい、同国を含む外遊が実現するに至った。 1971年(昭和46年)9月から10月にかけ、昭和天皇と共に訪欧。香淳皇后にとっては、これが初めての外国訪問となった。米国アラスカでの乗り継ぎを経て、デンマーク、ベルギー、フランス、イギリス、オランダ、スイス、西ドイツ各国を訪問した。基本的に天皇に同伴する旅程ではあったがブリュッセル滞在時には、グラン=プラスを徳川義寛侍従次長の案内で一人で散策し、お忍びで小便小僧を見物に出る機会もあった(天皇は50年前に見たとのことで出掛けなかった)。グラン=プラスでは徳川侍従次長から借りた金で、95ベルギーフラン(約630円)のレースの人形を買い、後に記者に「孫たちへのお土産にするか、それとも自分のにしようかと迷っています」と述べた。パリでは、かつてのフランス語教師とも再会し、天皇と共にお忍びでレストランを訪問しエスカルゴを食した。 1973年に初孫の東久邇信彦が長男・征彦を儲け昭和天皇・香淳皇后の初ひ孫となった。1974年(昭和49年)には金婚式を迎え、記者団の「楽しかった思い出は何か」という問いに、天皇皇后ともに欧州訪問を挙げた。翌年の訪米にも行幸に同伴した。訪米に先立ち、史上初めて正式な形の記者会見が開かれた。 訪欧の途上、米国ニクソン大統領・パット夫妻と懇談(1971年9月26日) オランダ訪問時(1971年10月8日) 西ドイツ発行の訪欧記念切手スタンプ
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