事故後の行動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/26 05:34 UTC 版)
5月11日、最高検察庁デジタル捜査センターは、事故直後から完全沈没時まで時間帯別にセウォル号がどれくらい傾いていたかに対する分析を終えた。海洋警察の警備艇が到着した時刻は、4月16日の午前9時30分頃。この時すでにセウォル号は左舷側に45度ほど傾いていたとされている。救援の到着を知った船内の生徒達は、海洋警察の到着や、待機をもとめるアナウンスが流れている事などをメッセージで船外に送っていた。それから15分後の9時45分頃、セウォル号は62度ほどに傾いた。午前10時頃、「船が60度傾いて沈没している」、「上から落ちてきたキャビネットに隣のクラスの子たちが下敷きになった」、「私は膝にアザができた」、などの危機的状況を訴える学生達のメッセージが送信されていた。さらに10時15分頃、「『待てだって、待て』という放送の後に他の案内放送は流れていない」、と言った内容のメッセージが送られ続け、そして2分後の10時17分、「母さん、父さん会いたいよ。 船がまた傾いた」、などといった最後のメッセージが送られた。 この時、セウォル号の傾きは108.1度であった。 4月19日時点、生存者の証言によると、船体の傾きが感じられてから、脱出を促すアナウンスがあるまで、およそ1時間23分ほどとされていた。それまで案内係で後に義死者認定される女性と、もう1人の案内係の男性が、船内から動かぬよう待機をもとめるアナウンスを繰り返しており、乗客に脱出が指示されたのは、10時15分頃、女性が海に飛び込むようアナウンスをした時が最初とされている。しかし、10時15分頃に船内から送信されたメッセージ(待てだって、待てという放送の後に他の案内放送は流れていない)から考えると、脱出指示のアナウンスは10時15分ちょうどに近い時間か、それよりも遅い転覆間際の頃になり、これまで船内待機の指示に従っていた乗客にとって、脱出は絶望的と思われる。 船長を始め、機関士などの操船関係者15名は、全員の脱出と救助が確認されている。また乗客の避難誘導をせず、専用通路などを使用して脱出したことに、国内外からの批判があがっている。このとき機関長は、船長の指示なく脱出命令を出したとされ、機関室が救命ボートを下ろす義務を果たさず脱出したことを、韓国メディアは批判している。 セウォル号沈没事故で、乗客を船内に置きざりにして逃げたとして逮捕された船の乗員らが、救助の船に乗り移る直前に、作業服を着替えていたことが各メディアで伝えられる。一般の乗客を装う目的だった疑いが強いが、乗員らは着替えた理由の供述を拒んでいる。脱出直前、機関長は作業服を脱いで半袖のシャツに着替え、航海士の1人は船室までジャンパーを取りに戻ったとされ、イ船長は下着姿で救助船に飛び移ったが、ズボンをわざわざ脱ぎ捨てた疑いがあるとみられている。 韓国の旅客船セウォル号沈没事故で、乗客を船内に置いて逃げた機関室の船員らが、船内で負傷して動けなくなっていた調理担当の船員2人も放置して、脱出していたことが伝えられる。これまでの調べで、機関長をはじめとする機関室の乗務員7人は、脱出のしやすいよう寝室前の通路に集まり、救出がくるまでの30分間、何もせずに待っていたことが伝えられていたが、今回合同捜査本部の説明によると、機関士2人は、怪我をした調理師たちを目撃したが救助しなかった、などと供述しており、その目撃者も4人いる。また彼らは、海洋警察の船に乗り移ってからも、負傷して動けないでいる2人の存在を、知らせなかった。9時5分頃には通路に集まっていた機関室の7人は、9時48分頃には海洋警察に救助されたと伝えられている。
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