事故後の状況
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/02 15:36 UTC 版)
「アーロン・ラルストン」の記事における「事故後の状況」の解説
ラルストンは引き続き多くの山に登り続けており、2008年にはチリのオホス・デル・サラード、アルゼンチンのピシス山に登頂している。2005年には、ラルストンは14000フィートを超えるコロラドの53座すべてに冬季単独登頂した初めての登山家となった。1997年に登頂を開始し、ブルー・ジョン・キャニオンでの右腕切断による中断期間を挟んでの達成であった。2008年デナリに登頂し、6194mの頂上からスキーで滑降した[要出典]。2009年には、友人達を率いてグランド・キャニオンを通ってコロラド川の川下りを敢行し、同年タンザニアのキリマンジャロに登頂した[要出典]。いつかはエベレストに登頂したいとラルストンは言っているが、「極地探検家」であるエリック・ラーセンが主導して行われた2010年の"Save the Poles"には帯同しなかった。 ラルストンは、事故の経験を書籍Between a Rock and a Hard Placeとして2004年9月7日に出版した。 2011年5月15日には、カーネギーメロン大学の学位授与式に講演者として演説した。
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