事故後の影響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/23 08:04 UTC 版)
事故前日の7月24日に、コンコルドを運航していたブリティッシュ・エアウェイズが「保有するコンコルド7機全ての尾翼に亀裂を発見し、うち1機の運航を停止した」と発表したばかりであった。そのため事故との関係が注目された。エール・フランスにも同様の亀裂がある機体があったため、事故から3週間後に英仏両国の航空当局からコンコルドの耐空証明が取り消され無期限の運航停止の措置がとられた。コンコルドはそれまで統計上は飛行時間あたりの事故率が最も低い「安全旅客機」だったが、コンコルドは他機種と比べて飛行回数が格段に少ないため、このコンコルド初の死亡事故によって、逆に最も高い「危険旅客機」に認定された。 事故原因を踏まえたうえで、コンコルドはタンク内部の被膜を厚くし、ケブラー繊維で補強し、タイヤもさらに破裂しにくい製品に改良するなど各種の安全対策が行われた。墜落事故から1年3か月半経った2001年11月7日にコンコルドは旅客業務の再開が認められた。運航再開の第一便は満席であった(正規運賃はエコノミークラスでも片道40万円)。しかし、その後の搭乗率は事故の影響で芳しくなかった。また、運行再開直前の時期にアメリカ同時多発テロが発生し旅客機そのものの顧客離れが起きた。もともとコンコルドは運航コストが高い割に収益が上がらない旅客機であった。それらの理由によりエール・フランスはコンコルドの運航を2003年5月をもって終了し、ブリティッシュ・エアウェイズも2003年10月24日に運航を取りやめたため、コンコルド全機の退役が決定した。
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