三沢自動車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/24 09:13 UTC 版)
日本の架空の自動車メーカー。軽トラックと二輪車の生産がメインで乗用車に参入したのはごく最近。売上高は業界内では下位だが、「実用第一」を旨とする製品の品質はデミング賞を受賞するほど高い。二輪車はフランス在住時代のロヴ・ロウも使用していた。しかし、実用性の高さゆえに決定的な魅力に欠け、「金がないから選ぶメーカー」「三沢に乗るのは貧乏の証明」とも囁かれている。 間 大陸(はざま だいろく) 三沢自動車技術部所属。手弁当で出場したサファリラリーでドライバーを務めたが、自身の車を壊してリタイヤし立往生していたところでゲンと出会い、サービスに見放されてボロボロの状態だったゲンの車を自分たちが持っていたパーツを提供して見事に修理する。メカニックとしての腕前は確かで、車に対する愛情も人一倍持っている。三沢ワークスでは主にメカニックとして活躍。 森沢 知佳(もりさわ ちか) 三沢自動車本社勤務。オリンパスラリーよりヘルパーとして参加する眼鏡っ子。後にロヴと恋仲になる。 知識も経験も無いが、熱意を持ってヘルパー作業、チェック作業を行っており、ゲンをはじめとしたチームの信頼を得ている。一方で実務関係にまったく携わっていなかったため沙也子による新チーム体制には当初組み込まれておらず、これが沙也子に対するチームの反発を招いてしまった。 WRCの規定など、知佳が疑問を提示し、それに周囲が答えるといった形で用語解説が行われることも多い。 三沢会長 三沢自動車の会長。自身でもエンジン設計図を起こすほどで、三沢の自動車は道具であるとしトラックなどの業務車両を主軸に、大型乗用車の開発を不要として許可していない。また、新設計のファミリーカーで4人乗りの車両のクーラーボックスに2人分の容量しか無かったことに対し、ダメ出し(再設計)を間に命じている。 娘が2人いて、長女の娘婿が社長を務めている。 三沢 沙也子(みさわ さやこ) 三沢自動車本社企画開発部部長。会長の末娘。男まさりの女性だが、三沢自動車に対する愛情は誰にも負けない。経営会議にも出席しており、義兄である社長も沙也子の意向には逆らえない模様。新生三沢ワークスの監督に就任するが、単なる経営上からではなく、自社の車に対し所有者が誇りとなるような付加価値を与えるための、WRC参戦であった。 極めてシビアな現実主義者であり、数字や成績で物事を判断する側面があったため、三沢ラリーチーム新体制構築当初は知佳をチームから外すなど、結果的にチーム内を引っ掻き回してしまった。一方で朝倉の説得を受けて考えを改めて以降は、一歩退いた部分でチームの活動を支え、最終レースでは三沢のために勝利を懇願するなど徐々にその本心を見せるようになる。 朝倉宗助(あさくら そうすけ) 会長の親友の間柄で株主の一人。社員ではないが、高崎工場の作業場でとぐろを巻いている職人。レーシングメカニックとしては草分けともいえるベテランだが、孫をレースで失くしている。三沢ラリーチームのメカニック総監督を依頼されるが、一度は断る。しかし、ロヴや知佳、ゲンを気に入ったことで引き受ける。 スウェディッシュラリーでは自分の車のタイヤにスパイクを打ち込んで馴染ませておいて予備タイヤとして使用したり、寒冷地特有の雪によるオーバーヒートを防ぐスノー・ガードを用意した。 桜井(さくらい) オリンパスラリー後にゲンのチームメイトとして三沢ワークスに加入したドライバー。もともとラリー畑の出身ではなく、某F1チームに在籍していた。そのせいかラリーをF1よりも簡単なものと見下しており、ゲンの怒りを買う。チームが当初出走を予定していたRACラリーにエントリー出来ないことが分かるとさっさとマツダのラリーチームに移籍してしまったが、その後のスウェディッシュラリーでは刻々と環境が変化し、それに対応する本能が求められる状況に対応しきれずにリタイヤ。サーキットを走るF1とは前提が違いすぎるラリーを舐めていた報いを受けることとなった(ただし、後にシンもスウェディッシュラリー参戦が危ぶまれた際に、長期間レース競技から離れることによる技量や勘の低下を心配していた)。
※この「三沢自動車」の解説は、「ガッデム」の解説の一部です。
「三沢自動車」を含む「ガッデム」の記事については、「ガッデム」の概要を参照ください。
- 三沢自動車のページへのリンク