三国一朗とは? わかりやすく解説

三國一朗

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/07 04:44 UTC 版)

三國 一朗
(みくに いちろう)
『小説倶楽部』1963年6月号(桃園書房
誕生 (1921-01-12) 1921年1月12日
日本 愛知県名古屋市
死没 (2000-09-15) 2000年9月15日(79歳没)
墓地 青山霊園
職業 放送タレント、司会者、エッセイスト
国籍 日本
最終学歴 東京帝国大学文学部社会学科
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三國三国一朗(みくに いちろう、1921年大正10年〉1月12日 - 2000年平成12年〉9月15日)は、日本放送タレントエッセイスト俳優である。

来歴・人物

愛知県名古屋市出身。第八高等学校を経て、東京帝国大学文学部社会学科を繰り上げ卒業し従軍。戦後、劇作家久板栄二郎の下で修業した後、雑誌編集者を経てアサヒビール社員となる。

1952年に、志摩夕起夫らと行った、深夜放送「イングリッシュ・アワー」(ラジオ東京)での仕事は「日本で最初のラジオ・パーソナリティ」である。

1953年日本テレビ放送網で放送を開始したアサヒビール一社提供番組「ほろにがショー 何でもやりまショー」の二代目司会者として出演し、以後放送タレントとして各種番組に出演。1956年にアサヒビールを退社した後はタレントを専業とした。近代日本史への造詣が深く、東京12チャンネルの「私の昭和史」(1964年~1974年、放送批評懇談会の期間選奨を受賞)の司会や、二・二六事件を扱ったNHK特集のレポーターを務めている。

晩年は「お好み演芸会」(NHK総合テレビジョン)の「花の落語家5人衆の知恵比べ」の司会も務めた。

スクラップ・ブックが趣味で、技術指南書『ハサミとのり』を刊行。この本は刊行当時、スクラップ愛好家の間で、非常な評判を博した。また、放送タレントの先輩として、徳川夢声を敬愛し、夢声研究の決定版『徳川夢声の世界』を刊行し、芸術選奨新人賞を受賞した。

その他にも「タレントの余技」をこえた、軽妙なエッセイ集を何冊も刊行した。

2000年9月15日急性心不全のため、東京都稲城市の病院で死去。79歳没。

叔父に俳優の三國周三[1]。その妻が女優の水町庸子

出演番組

テレビ

ラジオ

俳優

テレビドラマ

映画

著書

共著

  • 『タレントの本棚』(愛書家交換会・蚤の市 1983年)、著者の一人

編著

  • 『証言私の昭和史』全6巻、東京12チャンネル報道部編、学芸書林、1969年
    • 『証言・私の昭和史』全6巻、テレビ東京編 旺文社文庫 1984-1985年
    • 『証言・私の昭和史』全6巻、テレビ東京編 文春文庫 1989年
  • 『昭和史探訪』全6巻 インタビュアー・編者 番町書房 1974-75年。聞き手表記
    • 『昭和史探訪』全6巻 井田麟太郎共編 角川文庫 1985-86年 
  • 『昭和 二万日の全記録』全19巻 編集委員(原田勝正尾崎秀樹松下圭一と、講談社 1989-1991年)
  • 日本の名随筆96 運』作品社 1990年
  • 『昭和生活文化年代記 1 戦前』TOTO出版 1991年

エピソード

  • 1954年9月、ラジオ東京で番組担当中に「洞爺丸が函館港外で座礁」の臨時ニュースを読んでいる。ニュース終了直後に流れたのはアルゼンチンタンゴの『SOS』(後に『コンデナ』に改名)であったが、意図した選曲ではなく全くの偶然であった。後年になって『この時のような不気味な経験は他に一度もない』と語っている。

研究書

  • 濱田研吾『三國一朗の世界 あるマルチ放送タレントの昭和史』清流出版 2008年4月

脚注

  1. ^ 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)




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