公開禁止以降
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/20 07:42 UTC 版)
亀井は、1941年(昭和16年)に治安維持法違反容疑で逮捕・投獄されて監督免許を剥奪されるが、その理由のひとつがこの映画であった。戦後、釈放された亀井は、1946年(昭和21年)に昭和天皇の戦争責任を追及した『日本の悲劇』を製作したが、これもGHQの再検閲により、公開禁止の憂き目に会っている。 ネガが処分されたこともあり、戦後長らく幻の映画とされていたが、1975年(昭和50年)に1本のポジフィルムが発見される。以来、上映会やビデオ化、DVD化を通して、日本映画史上の重要な作品であると再認識されるに至った。ただし、オリジナルのネガが現存しないため、戦死した兵士を火葬するシーンが現存していない。同年4月13日に放送された、朝日放送テレビ(NETテレビ系列)の記録映画番組「ドキュメント昭和」第2話として、「検閲不合格映画・戦ふ兵隊」というテーマで、この映画のダイジェストシーンと、なぜ上映禁止になったのかについて追及する内容が放送された(レポーター:佐藤忠男、司会・ナレーター:三国一朗)。
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