公開研究会
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島村総合教育が終わる頃には、島小の教育も充実してきた。また下記のような斎藤の著書や島小職員の実践記録を読んだ参観者が日毎に増え、授業に支障を来すようになったので、教育成果をまとめて発表するために、島小教育4年目の1955年から年1回公開研究会が開かれることになった。内容は、授業公開と運動場での合唱、体育演技、行進、加えて島小の教師たちの合唱、そして夜の研究懇談会などであった。島小教育終焉まで計8回の公開研究会には、全国から延べ1万人近い教師、研究者が参集した。学生や行政関係者、ジャーナリストなどもいた。
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