三井串木野鉱山の歴史とは? わかりやすく解説

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三井串木野鉱山の歴史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/05 15:14 UTC 版)

串木野鉱山」の記事における「三井串木野鉱山の歴史」の解説

1906年明治39年)、採算悪化していた西山鉱区買収する形で三井鉱山(後の日本コークス工業)の進出始まった1912年明治45年)に羽島鉱山買収し1914年大正3年3月には全泥式青化精錬法を日本最初に導入している。1928年昭和3年)に当時休山となっていた芹ヶ野金山譲渡を受け、1934年昭和9年)には鉱山再開発始めた1936年昭和11年)には、坑道海面下226mに達する。昭和14年には、1日1300トン鉱石採掘され年間1397kgの金を産出した昭和18年太平洋戦争のために鉱山休止金鉱山整備令)。昭和24年操業再開1950年昭和25年)に神岡鉱業(後の三井金属鉱業)の傘下入ったが、1964年昭和39年4月三井串木野鉱山として独立した昭和40年枕崎市岩戸金山での採鉱開始昭和41年坑道海面下347mに達する。昭和46年台風19号により坑道浸水被害あり、3千万円を超える損害を被る。この頃戦後最盛期であり、年間15tの鉱石採掘していた。1974年昭和49年)に荒川鉱山買収した昭和53年減少傾向にある採鉱業の穴を埋める形で、貴金属リサイクル業が開始される昭和59年荒川斜坑完成1986年昭和61年)、採掘終了した10-11-12層目の坑道水没処分となる。1988年昭和63年11月には坑道跡を利用した観光坑道ゴールドパーク串木野』が開園した操業中の鉱山一部観光坑道としてテーマパーク化するというユニークな試み高く評価されたが、その後の業績低迷のために2003年閉鎖された。閉鎖の少し前より金相場低迷鉱石品質低下により串木野での採鉱低迷しており、平成元年には採掘1万トン減少した金相場低迷鉱石品質低下により、1994年平成6年以降串木野鉱山での採掘行われていなかった。1997年金鉱山としての操業終える。2003年酒造メーカー焼酎熟成貯蔵庫として坑道一部使用し坑道内に醸造所なども設置したうえで『薩摩金山蔵』として金と焼酎テーマパークとしてリニューアルオープンさせた。 精錬所においては2015年現在国内では数少ない青化法シアン化法)による湿式精錬が行われている。串木野鉱山坑道16層に掘削され西山坑搬出のためのトロッコ列車2層目に位置していた。1層目は海抜100m最下層16層目は海面下350mに達した広さ東西に3800m、南北に2700mとなり、全ての坑道接続する全長120kmとなった上下坑道連絡する荒川斜坑などの数か所の斜坑掘削された。2015年現在水没していないのは1-2層目だけで、残り坑道全て水没している。2層目の数百メートル区間だけが薩摩金山蔵観光坑道アルコール飲料熟成倉庫として利用されている。精錬所において、同じ鹿児島県内にある赤石鉱山露天掘りした鉱石精錬産業廃棄物からの貴金属回収行っている。2004年現在従業員数80名。

※この「三井串木野鉱山の歴史」の解説は、「串木野鉱山」の解説の一部です。
「三井串木野鉱山の歴史」を含む「串木野鉱山」の記事については、「串木野鉱山」の概要を参照ください。

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