西山坑
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/05 15:14 UTC 版)
一坑と称した。鉱脈が発見されたのは、万治年間(1658年-)とも鎌倉時代とも言われるが、詳細な資料は残っていない。元禄年間(1688年-)、串木野1号𨫤(ひ)東部の地表近くを採掘していたが、明治になってから本格的な採鉱が始まった。いくつかの鉱区に分けられ、複数の企業によって非効率的な操業が行われていた。中には300-400人の工夫を雇用し、水車を使って1日に50tの鉱石を処理していた鉱区もあった。しかし次第に出水に悩まされるようになり作業効率の低下に悩まされることになった。大手資本による投資による鉱山設備拡充が望まれるようになり、各鉱区を大資本のもとに統合する形で、1905年(明治38年)三井鉱山合名会社に買収された。三井は巨額の投資を行い、排水設備や送風設備、運搬・精錬などが一新された。西山坑近くの旭小学校の生徒数は2004年現在40名前後であるが、1942年(昭和17年)には880名余りが通学していた。西山坑からの鉱石は、トロリー電車によって頂部の精錬所まで運搬されていた。1997年に操業を停止するまでは、LHD(ロードホールダンプ)やジャンボ削岩機などの近代的な自走重機を使ってのトラックレスマイニング(軌道を使用しない採掘作業)が行われた。出鉱品位は金5-8g/t、銀はその約10倍であったが、富鉱体は金10-30g/tにも達した。1997年まで操業。2015年現在は『薩摩金山蔵』としてテーマパークになっている。
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