ヴァレンヌ事件とは? わかりやすく解説

ヴァレンヌ事件

(ヴァレンヌ逃亡 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/19 21:35 UTC 版)

ヴァレンヌ事件(ヴァレンヌじけん、: La fuite à Varennes)またはヴァレンヌ国王一家逃亡事件ヴァレンヌ逃亡ヴァレンヌ逃亡事件[1]とは、フランス革命時の1791年6月20日夜に、フランス国王ルイ16世と王妃マリー・アントワネットの一家がオーストリアへの逃亡を図り、東部国境に近いヴァレンヌで発見されパリへと戻された事件[2]西洋史学者の山上正太郎はこれについて「王権反革命性を暴露した自滅行為であり、国民の王家への不信や共和主義を高める結果となった」と述べている[3]


注釈

  1. ^ ミラボーのほか、ラ・ロシュフーコー=リアンクール公爵も進言して、自身の領地であり、かつ王党派支持住民の多いノルマンディー地方への国王の移動を提案した。これら進言のあったのは1790年の夏頃であった[要出典]
  2. ^ 司教タレーラン=ペリゴールとラメット兄弟が引き継いだ。タレーランは国内屈指の大貴族であったが、聖職者基本法に賛成した宣誓僧であったため、カトリックの立場を守ろうとする敬虔な国王の信任は得られなかった[要出典]
  3. ^ マリー・アントワネットは痘痕顔の醜いミラボーを嫌っていた。またパリ脱出後の行き先についても、王妃のロレーヌ案と、ミラボーのノルマンディー案は対立しており、ミラボーの突然の死は国王一家の運命に大きな影響を与えた[要出典]
  4. ^ 実際的にはオーストリアを含めて彼女があてにした諸国は戦争に消極的で、1791年時点で介入に同意しそうな国は、(従来はオーストリアの敵であった)プロイセン王国以外にはなかった。ブルトゥイユ男爵は諸国の君主の好意的反応を引き出したが、大臣は賛成せず、支援は上辺だけのものだったからだ。翌年に革命戦争が始まったときでも、宣戦布告したのは革命フランス側からであり、ナポリ王国などマリー・アントワネットの姉マリア・カロリーナのいる諸国は当初は参戦を見合わせ、国王処刑後ですら王妃の脱出にも助力しなかった。身代金交渉はなかったわけではないが不活発で、マリー・アントワネットが期待したハプスブルク家の援助は、例え逃亡計画が成功していても、はかない夢でしかなかった[要出典]
  5. ^ この文書は後に発覚し、バルナーヴの誘拐説のウソを暴いた[要出典]
  6. ^ フェルセンには他にも複数の愛人がいたことが知られている[要出典]
  7. ^ このなかに当時は副官付の曹長に過ぎなかったミュラもいた。彼は後にルイ16世を護る立憲近衛隊の兵士にもなるが、さらに後にはナポリ王国の国王ともなる。
  8. ^ 絵の内容はフィクションで、劇的場面のような演出となっている[要出典]
  9. ^ ブイエ侯爵には、この日の数々の不思議な行動から、裏切りがあったのではないかという説もある[要出典]
  10. ^ 結果的に、この嘘がフランス国歌の5番において、「ブイエ将軍」と名指しで批判され、悪名が現在に至る要因となっている
  11. ^ 対仏大同盟自体は、フランスのヨーロッパ支配という新情勢に対する諸外国の国益に根ざした軍事同盟であり、反革命十字軍のような感情的な反発とはかなり目的も趣旨も異なる。むしろ反革命十字軍はその後の神聖同盟と共通点が多い[要出典]

出典

  1. ^ バレンヌ逃亡事件とはコトバンク
  2. ^ Britannica Japan Co., Ltd. 2021, p. 「バレンヌ逃亡事件」.
  3. ^ a b c d 山上 2021, p. 「バレンヌ逃亡事件」.
  4. ^ ツヴァイク 1998, pp.97-102。
  5. ^ 河野 1989, pp.139-143
  6. ^ ブルトン 1995 [要ページ番号]
  7. ^ フュレ & オズーフ 1999, p.44


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