ライフリング決定のトライアルと、照準器の完成、弾薬包への変更
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「エンフィールド銃」の記事における「ライフリング決定のトライアルと、照準器の完成、弾薬包への変更」の解説
これまで、エンフィールド銃は、1:78のねじれをもつ3条のライフリングを持っていたが、エンフィールド銃に使われるライフリングを正式に決定できていなかった。 そのため、かつて1852年のトライアルに参加した、チャールズ・ランカスター(英:Charles William Lancaster) が発明したランカスターの楕円形銃身、ジェームズ・ウィルキンソンが発明したウィルキンソンの5条のライフリング、そしてエンフィールド銃の3条のライフリングを比べるため、1853年6月2日に小火器委員会の副委員会により最初のトライアルが行われた。 ランカスター楕円形銃身は、他のライフリングを持つ銃よりも射撃性能が良く、200ヤード(約183メートル)の距離でターゲットに全弾痕を18インチのグループ(0.46メートル)に留めた。ランカスター楕円形銃身と、エンフィールドの3条のライフリングは、530グレインのプリチェット弾で射撃をしていたが、ウィルキンソンは独自の弾丸を使用した。しかし、ウィルキンソンの5条のライフリングが最も悪く、200ヤード先の同サイズのターゲットにほぼ命中しなかった。 次に、500ヤード(約457メートル)先の6×6フィートのターゲットで射撃を行った結果、ランカスターの楕円形銃身は弾痕を4フィートのグループに抑えたが、エンフィールドの3条のライフリングは、同じ距離で75%しか命中しなかった。 8月4日に2回目のトライアルが実施され、レポートにまとめられた。最大800ヤードまでの射撃を行なった結果、ランカスター楕円形銃身が最も良かった。しかし、ランカスター楕円形銃身に二つの異議があった。一つ目は、楕円形銃身のスパイラルを作ることが困難である事、二つ目は、銃口よりわずかに大きいチェンバー部分のレリーフにより、装填された弾丸が発射時に前方に移動し、弾丸と火薬の間にエアギャップが残る可能性があり、このギャップにより、銃を発射したときに圧力が上昇し、骨盤位が破裂する可能性がある事だった。一つ目の異議は、製造が困難というデメリットよりも、非常に高い精度というメリットの方が大きかったので、何かが変更されることなどはなかった。二つ目に関しては、ランカスターが、銃身内の弾丸と火薬の間にエアギャップをつくり、発砲するという実験を行わせた所、破裂や、銃身損傷が起こることはなかったため、全く問題ではなかった。 小火器委員会は、1853年8月29日にウーリッジで追加のトライアルを行い、ランカスター楕円形銃身と、エンフィールド製の楕円形銃身で300ヤード(約274メートル)からの射撃を行った。このテストでは、ランカスター楕円形銃身から発射された20発の弾丸が全てターゲットに命中し、26インチ(0.66メートル)の弾痕のグループを作ったため、ランカスターの楕円形銃身の射撃精度の高さが再び示さた。すなわち、このトライアルで、ランカスターの楕円形銃身は、エンフィールドの3条のライフリングだけでなく、エンフィールド製の楕円形銃身よりも優れている事が証明された。 1853年の9月15日に、最後のトライアルが実施された。これらのテストでは、ランカスター楕円形銃身と、エンフィールド製楕円形銃身が300ヤード先の6×6フィートのターゲットに100発射撃された。ランカスター楕円形銃身は100発中99発命中し、エンフィールド製楕円形銃身は32発しか命中しなかった。しかし、1853年9月20日、副委員会は、エンフィールド銃のライフリング決定に関して用心深かったので、まだ採用するライフリングを決めれなかった。 そのため、1853年10月17日に、エンフィールド銃に採用するライフリングを選択する事を目的に、ハイスで新たなトライアルを開始し、エンフィールド製楕円形銃身と、ランカスターの楕円形銃身を600ヤード(約549メートル)から射撃した。このトライアルでも、ランカスター楕円形銃身の高精度が発揮された。しかし、レポートから、エンフィールド製楕円形銃身がたまに「摩耗する」傾向が見られた。1853年10月18日から27日まで行われた別のトライアルで、ランカスター楕円形銃身の性能が良くなかったこともあり、ランカスター楕円形銃身にも剥がれる傾向が見られると考えられた。そのため、エンフィールド銃には3条のライフリングが採用された。実際、400ヤード(約366メートル)での射撃において、ランカスターの楕円形銃身は、1851年式ライフルマスケットや、エンフィールド銃の三条のライフリングより高精度だったが、ライフリングが摩耗する場合が記録された。 1853年11月下旬、「大量製造した場合に、ランカスター楕円形銃身が摩耗を防げるかが、まだ不確かである」という意見と、「ランカスター楕円形銃身より摩耗が少ないライフルはない」という意見の2つが生まれたため、1853年11月26日に3条のライフリングとランカスター楕円形銃身を比較する新たなトライアルを実施した。このトライアルで、ランカスター楕円形銃身に徐々に多く剥がれる傾向が見られた。 1854年の1月4日の最終レポートでは、ランカスター楕円形銃身が剥がれる原因が不明であることが報告された。そのため新たなトライアルが行われた。このトライアルでは、ランカスター楕円形銃身と3条のライフリングとが1000発の射撃を行った。前回のトライアルと同じく、ランカスター楕円形銃身は徐々に多く摩耗する傾向が見られた。そのため、副委員会と親委員会は、1854年1月下旬、3条のライフリングをエンフィールド銃に使用することに納得した。1854年2月7日に、ランカスター楕円形銃身の失敗の原因であるライフリングの摩耗を解決するため、最後のトライアルを行なった。このトライアルでは、20丁のランカスター楕円形銃身銃が使われたが、結局、問題を解決できなかった。 かつて1852年8月にプロトタイプが製造されてから、エンフィールド銃の照準器は、持ち上げ式のリーフ照門か、ラダー式照門かのどちらにするかが決定できていなかった。ウェストリー・リチャーズによって提案された照準器が小火器委員会に試され、失敗した後、ランカスターの照準器のデザインが提案され、数ヶ月後に採用された。この照準器には、二つの特徴があり、一つは、照準器を、前方向と後ろ方向に折り畳める事、二つ目は、段階型ランプが照準器の両側面にある事で、300ヤード先まで簡単に照準の調整を行える事であった。ウィルキンソンなどの他のいくつかの照準器も試されたが、ランカスターの照準器より優れてはいなかった。1853年12月、エンフィールド銃用の照準器は、両側面にあるランプが、照準器を立てずに400ヤードまで照準を調整する事が可能な3段階のものへと大型化されたが、ランプの大型化によって照準器の製造によりコストが掛かってしまうのではないかと思われた。しかし、小火器委員会は、このランプは、照準器を畳み込んだ際に、照準器を保護してくれる事を判明したため、1854年8月にこのラダー式照門がエンフィールド銃の照準器として採用された。エンフィールド銃のラダー式照門は、照準器を立てずに400ヤードまで照準を調整する事が可能で、照準を立てれば、最大900ヤード先(約823メートル)まで調整する事が出来た。 そして、圧縮製造(英:Swaging)されるプリチェット弾の重量が、520グレイン(約33.7グラム)の鋳造弾より10グレインほど増えて530グレイン(約34グラム)になった事により、弾薬包内にある61.5グレインの火薬では、エンフィールド銃の長距離射撃は台無しになり、狂ってしまった弾道が製造された照準器と合わなくなるため、1853年8月9日に弾薬包をより長くし、内蔵する火薬の量を、61.5グレインから68グレイン(約4.41グラム)まで増やした。これにより、弾道は正常に戻り、製造される照準器と合わさった。
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