モデル線の年表
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終戦まで:弾丸列車計画で、相模川 - 早川を含む東京大阪間のルート用地が順次買収された。 1955年(昭和30年)5月、十河信二が国鉄総裁に就任 1956年(昭和31年)5月10日、国鉄本社で東海道線増強調査会が設置される(委員長は島秀雄) 1957年(昭和32年)5月25日、鉄道技術研究所創立50周年記念講演会「東京 - 大阪間3時間への可能性」 1957年(昭和32年)7月、国鉄から運輸省に申請書を提出。時の運輸大臣中村三之丞はこれを積極的に支持。 1957年(昭和32年)7月、国鉄内に幹線調査室を設置。。 1957年(昭和32年)8月、運輸大臣諮問機関、日本国有鉄道幹線調査会が設置される 1958年(昭和33年)7月7日、幹線調査会が「広軌別線」を5カ年で建設すべきと答申 1959年(昭和34年)3月31日、30億円の東海道幹線増設費が国会で認められる 1959年(昭和34年)4月13日、東京・大阪間線路増設工事運輸大臣認可が下りる 1959年(昭和34年)4月18日、幹線調査室を廃して新幹線局を設置し、幹線調査事務所を廃して東京幹線工事局を設置 1959年(昭和34年)4月20日、新丹那トンネル東口で全線の起工式 1959年(昭和34年)12月、静岡、名古屋、大阪の幹線工事局が発足 1960年(昭和35年)1月、酒匂川橋梁と相模川橋梁が着工 1960年(昭和35年)4月11日、新幹線総局が誕生(総局長は大石重成) 1962年(昭和37年)3月、モデル線で軌道・電気の起工式 1962年(昭和37年)4月20日、モデル線管理区の開区式 1962年(昭和37年)5月、鴨宮から東約10kmまでの区間が完成 1962年(昭和37年)6月、鴨宮基地(東京基点71km820m)から東方向へ約10kmの軌道(下り線)が完成し、走行試験が始められる。 1962年(昭和37年)6月26日、第一次速度向上試験で70km/h 1962年(昭和37年)7月15日、16日、第二次速度向上試験(その1)で110km/h 1962年(昭和37年)9月8日、13日、14日、第二次速度向上試験(その2)で160km/h 1962年(昭和37年)10月10日、モデル線全区間が完成 1962年(昭和37年)10月31日、第二次速度向上試験(その3)東京基点62km第一生沢トンネル付近で200km/h 1963年(昭和38年)3月19日、243km/h 1963年(昭和38年)3月30日、速度向上試験最終日に256km/h 1964年(昭和39年)2月15日、モデル線が西の熱海方面からの上り線とつながって、綾瀬 - 三島間77kmが開通 1964年(昭和39年)4月1日、東海道新幹線支社発足に伴い、モデル線管理区が支社所属の現業機関となる。 1964年(昭和39年)4月20日、モデル線管理区が廃止されて東京運転支所に吸収される。 1964年(昭和39年)4月28日、鳥飼 - 米原間試運転開始。 1964年(昭和39年)6.17 鳥飼・米原間で200km/hの速度試験成功。 1964年(昭和39年)6.20、A編成が救援車に改造のため浜松工場に入る。 1964年(昭和39年)6.22、B編成が電気試験車に改造のため浜松工場に入る。 1964年(昭和39年)7月1日、川崎市で最後のレールが結合され、東京-大阪間515kmが全通 1964年(昭和39年)7月25日、全線試運転が開始 1964年(昭和39年)10月1日、正式名「東海道線(新幹線)」が営業開始
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