モデル線鴨宮基地とは? わかりやすく解説

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モデル線鴨宮基地

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 11:18 UTC 版)

新幹線」の記事における「モデル線鴨宮基地」の解説

1962年昭和37年)には神奈川県綾瀬付近 - 小田原付近区間モデル線として先行整備され、小田原市鴨宮(かものみや)に鴨宮基地とそれを統括するモデル線管理区置かれた。小田原 - 綾瀬間が試験路線選ばれ理由以下の通りである。 戦前弾丸列車構想に際してすでに用地取得しており、早い時期着工する事が可能である。 直線・カーブ・トンネル・鉄橋と、線形地上設備シチュエーション一通り揃っており、データ収集が容易である。 鴨宮付近では東海道本線隣接しており、車両資材などの搬入に便利である。 国立にある鉄道技術研究所からも近く問題発生した時も対処が容易である。 ここで2編成試作電車1000形」を用いて車両設備テスト繰り返し問題点あぶり出しては改良重ねていった。1963年昭和38年3月30日速度向上試験では、1000形B編成256 km/h国内速度記録達成している。モデル線での研究は、初代量産新幹線電車となる0系や、線路設備開発生かされることになったまた、ここに中央鉄道学園小田原分所設けて新幹線のための乗務員保線要員の養成同時に行った。 しかし、このモデル線には欠点があった。相模湾近く、冬でも比較温暖な鴨宮では、降雪時の高速運転を想定した試験データ十分に得られなかったのである東海道新幹線名古屋 - 新大阪経路は、当初計画した鈴鹿山脈経由ルート費用技術工期制約から断念され、東海道本線同様に関ヶ原経由するルート変更されていた。関ヶ原周辺谷間標高高く、さらに日本海側気候影響冬期には激し降雪のある地域でもある。このような区間冬期高速列車通過する状況研究が、開業前には十分に行えなかった。このことは、1964年昭和39年)の開業初めての冬期関ヶ原での着雪による車両故障頻発させる原因となった。 このモデル線区は、設備無駄にならないよう、建設中の路線一部先行完成させて利用する手法が採られ、東海道新幹線開業後新横浜 - 小田原間の一部組み込まれている。この手法は後続東北新幹線小山実験線や、リニア山梨実験線にも踏襲されている。小山実験線には実際に施設設けられ、後に小山駅となった。現在、鴨宮基地のあった場所は保線車輌基地となっており、その一角には新幹線モデル線を示すモニュメント設置されている。2009年平成21年5月には市民の手によって、0系新幹線前頭部をモチーフとした「新幹線発祥の地」のモニュメント建てられた。 またテスト使われ試作電車は、東海道新幹線開業後改造受けたA編成救援車941形に、B編成電気軌道総合試験車922-0形となり、それぞれ役立てられることになる。941はまった活躍することなく廃車となったが、922-0はその後0系を元とした「ドクターイエロー」が登場するまで生き永らえた。

※この「モデル線鴨宮基地」の解説は、「新幹線」の解説の一部です。
「モデル線鴨宮基地」を含む「新幹線」の記事については、「新幹線」の概要を参照ください。

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