要員の養成
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/23 15:20 UTC 版)
「福島第一原子力発電所1号機の建設」の記事における「要員の養成」の解説
GEとの契約には要員訓練(後述)も含まれていたが、東京電力はそれだけでは将来的に必要とする技術要員をまかなうのには不十分と判断し、下記の手段を併用して人員の確保を図っていた。具体的に述べると、GEと契約を結んだ際には同社で訓練を受ける技術者は計20名であったが、東京電力としては1号機を運開までに最低でも100名の技術者を確保する必要があると見込んでおり、2号機以降は大型化が進むためさらに多数の技術者を必要とすると予想していた。このため、GEへの派遣以外にも下記のように様々な方策を併用して人員の養成に当たっていた。 新卒者に原子力工学修了者を積極的に採用 火力発電所の建設、運転経験者など他部門からの配置転換 海外派遣の追加 日本原子力研究所、日本原子力発電への出向 東北電力からの技術者受入 技術者の引き抜き防止を協定 日本原子力発電の利用 日本原子力発電は東海発電所に研修所を併設、1968年5月より開所していた。開所間もない東海研修所の1968年度受講分申し込み約40名(同年度の受入受講生の約半数)と報じられた。開所1年後の『原子力産業新聞』によると東海研修所は高卒程度を対象とするAコースと大卒を対象とするBコースの2つを用意していた。結局東京電力は1968年前期にAコース7名(Bコースは前期は準備されていなかった)、1968年後期にAコース12名、Bコース16名を修了させ、同校で計35名を養成した。なお『日刊工業新聞』によると1969年度上期の募集枠に送り込めたのは19名であった。1970年度は東海研修所も従来の80名前後から100名超まで受入枠を増員し、重電メーカーからの研修も受入の予定であったが、東京電力は12名の応募を予定していた。 東海研修所への研修の他、1968年9月からは11名が同社原子炉の運転要員として半年の予定で派遣された。 東北電力からの技術者受入 東北電力からの技術者交流は木川田が訪米によって米国での原子力発電隆盛が著しいことに触発されて発案されたものである。同社が原子力発電所建設において日本では先行していることに着目し、東北電力が原子力発電を受入する際のスタッフを養成する意図もあった。両社は短期間で条件を詰め、1967年9月19日に公表、10月から1968年7月にかけて技術者12名を受入し、1号機が運転開始予定の1970年10月まで約3年派遣するというものであった。 GE社への派遣 GEの養成機関派遣は1968年に5名、1969年1月に第2陣として24名を派遣、GEの研修計画に基づき半年の研修を受講している最初に米国のBWR運転訓練センターに派遣された5名は幹部運転要員という位置付けであった。実務試験は敦賀原子力発電所にて実施した。なお派遣は、GE側の受け入れ体制が整うのを待ってから実施された。
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