メジャー・デビュー、解散(2005年~2016年)
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「ホット・ホット・ヒート」の記事における「メジャー・デビュー、解散(2005年~2016年)」の解説
2005年4月にバンドのメジャー・デビュー・アルバム『Elevator(エレベーター)』をワーナーミュージックから発表した。2005年のツアー開始とともにギターはデカーロからパキンに交代した。5月17日には、アメリカのシンセ・ロック・バンド、ザ・キラーズ(The Killers)のオープニングを務めたが、肝心のキラーズはボーカルのブランドン・フラワーズが気管支炎のため、3曲で演奏の中止を余儀なくされた。 2007年9月11日にメジャーとしてのセカンド・アルバム『Happiness Ltd.』をリリースしたが、事前にシングル『Give Up?』はMySpace上で3月下旬にサンプル表示、5月15日にiTunesでリリースされ、シングル『Let Me In』も7月16日にリリースされた。2007年の夏はスノウ・パトロール(Snow Patrol)のオープニングとして彼らのサマー・ツアーに参加した(アメリカ分のみ)。また、9月からはドイツ、カナダとアメリカで自らのツアーをした。 2008年から2009年のほとんどの時間はレコーディングに費やされた。この時期にダスティン・ホーソーンがバンドを脱退したようだが、その理由はほとんど説明されていない。パーカー・ボスレーが新ベーシストとなり、後にルイス・ハーンが加入した。 2010年6月8日、4作目のアルバム『Future Breeds』をDine Alone Recordsよりリリース。リリースに向けて、ニューヨークの小さなクラブ(5月のPublic Assembly)とLA(6月のBootleg Theater)でライブを行った。 ホット・ホット・ヒートは2010年代に入ってからは公の場での活動が少なくなったが、2013年5月に新曲「Majoror of the City」をリリースした。 2016年6月24日、5作目のアルバム『Hot Hot Heat』をリリースし、それが最後のアルバムになることを発表した。
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メジャーデビュー - 解散 (1993年 - 1995年)
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「カーカス」の記事における「メジャーデビュー - 解散 (1993年 - 1995年)」の解説
1993年、メジャーレーベルのコロムビア・レコードから4thアルバム『ハートワーク』(Heartwork)がリリースされるが、『ハートワーク』のレコーディング終了後にマイケル・アモットが脱退してしまう。マイケル・アモットは既に1970年代風のハードロックに興味を移していて、『ハートワーク』の方向性にも疑問を持っていたらしい。後にマイケル・アモットはスピリチュアル・ベガーズを結成。その後、プロジェクトとして実弟クリストファーと共にアーチ・エネミーを結成した。アルバムリリースに続くツアーのため、元ヴェノムのマイク・ヒッキーがセッションギタリストとしてカーカスに迎えられる。この年のヨーロッパツアーに先立って、「ボディカウント」のイギリスツアーの前座も務めている。 1994年、マイク・ヒッキーに代わって、カルロ・レガダス(元デヴォイド)がカーカスに正式に加入する。この年に初来日公演。カーカスは北米での『ハートワーク』の発売元である「コロムビア・レコード」とアルバムのリリース契約を結び、レコーディングを行ったが完成後コロムビアに拒否され再度レコーディングする羽目になる。この辺りからレーベルとバンドの間の仲がギクシャクするようになり、いつまでもニューアルバムをリリースしようとしないレーベルに業を煮やしたビル・スティアーが、1995年の終わりにカーカスから脱退してしまう。 ビルの脱退により活動を続けられなくなったカーカスは、コロムビア・レコードとの契約を破棄され全米においての配給元を失う。古巣のイヤーエイク・レコードから欧州圏のみで、5thアルバム『スワン・ソング』をリリースした後に解散する(ちなみに、「スワン・ソング」という言葉は、欧米では一般に「遺作」を意味する言葉であり、このアルバムは解散を前提として制作された物だと考えられる)。残ったカーカスのメンバーは、元々カーカスのローディを務めていた、元カテドラルのマーク・グリフィスをギタリストに入れ、「ブラックスター」の名前で活動を再開し、1997年にアルバム『ブラックスター』をリリースしたが、まもなく活動停止してしまう。一方脱退したビル・スティアーはファイアバードを結成し活動を続けた。 1996年、コンピレーションに収録曲や、未リリース曲などを収録した『ウェイク・アップ・アンド・スメル・ザ...』をイヤーエイク・レコードよりリリース。また2004年には、イヤーエイク・レコードのカタログ上で長い間アナウンスされていたが一向にリリースされる様子の無かったベストアルバム『Choice Cuts』がようやくリリースされた。
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メジャーデビュー、解散
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「ハスカー・ドゥ」の記事における「メジャーデビュー、解散」の解説
バンドは『Flip Your Wig』レコーディング中からメジャーレーベルであるワーナー・ブラザース・レコードから契約のオファーを受け、契約を結んだ。1986年3月に5枚目にしてメジャーデビューアルバム『Candy Apple Grey』をリリース。バンドにとって初となるビルボードにチャートインを果たし、MTVやラジオでも取り上げられるが、最終的に最高140位にとどまった。1987年1月に6枚目のアルバム『Warehouse: Songs and Stories』をリリース。『Zen Arcade』に続く2枚組の大作だったが、ツアー直前にバンドマネージャーのデヴィッド・サヴォイが自殺。モールドがマネジメントを管理するようになると、この頃からモールドとハートの間の確執が表面化する。ハートはメサドン服用によるヘロイン中毒に悩まされており、解散前のツアーにも参加しまだ演奏できると主張していたが、モールドはその後のツアーを全てキャンセルし、その4日後にハートはバンドを脱退し、バンドも解散した。
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メジャー・デビュー - 解散
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「ドン・ドッケン」の記事における「メジャー・デビュー - 解散」の解説
ドイツにてレコーディングを行い、ドン・ドッケン、ジョージ・リンチ、フォアン・クルーシェ、ミック・ブラウンというラインナップでデビュー・アルバム『ブレーキング・ザ・チェインズ』を制作した(実際、ベースをプレイしているのはピーター・バルテス)。その後、フォアンの後任にジェフ・ピルソンが加入し、1983年にエレクトラ・レコードと契約。デビュー・アルバムである『ブレーキング・ザ・チェインズ』(曲を一部差し替え)の再発を経て、1984年に出世作となったセカンド・アルバム『トゥース・アンド・ネイル』を発表(「アローン・アゲイン」がスマッシュ・ヒット)。その後、1985年にアルバム『アンダー・ロック・アンド・キー』、1987年にはアルバム『バック・フォー・ジ・アタック』を発表。発売2週間でダブルプラチナを獲得した(全米チャート13位)。1988年、来日公演の模様を収録したライブ・アルバム『ビースト・フロム・ジ・イースト』をリリース。しかし、ドンとジョージの確執が深刻化してゆき、「モンスターズ・オブ・ロック」のツアーを終了と同時にドンが脱退する形でバンドは解散する。
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