メジャーデビュー〜解散
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/16 10:43 UTC 版)
「アーマード・セイント」の記事における「メジャーデビュー〜解散」の解説
ロサンゼルスを拠点に、デイヴ・プリチャード(G)とサンドバル兄弟(G・Ds)でバンド活動を開始。1982年に、ジョン・ブッシュ(Vo)とジョーイ・ヴェラ(B)が合流した5人のラインナップで結成。 インディレーベル「メタル・ブレイド」からリリースしたEPが評価されて、メジャーレーベル「クリサリス」と契約し、1984年にアルバム『マーチ・オブ・ザ・セイント』でメジャーデビューした。 LAメタルを含む1980年代のHR/HMムーブメントに乗り、コンスタントにリリースを重ねていたが(1985年にフィルが一時脱退)、1987年発表のサード・アルバム『レイジング・フィアー』を最後にクリサリスとの契約を失い、古巣のメタル・ブレイドに戻る。1989年にジェフ・ダンカンが加入し、ツイン・ギター編成に戻った。 そして1990年、バンドの中軸であるプリチャードを白血病で亡くしてしまう。(後任はフィル・サンドバルが復帰。)追悼の意味も込めたニューアルバムのセールスも芳しくなく、1992年には追い打ちをかけるようにブッシュがスラッシュメタルバンド「アンスラックス」に加入するため脱退。音楽シーン自体も既存のムーブメントは終息しており、バンドは継続を断念して解散した。
※この「メジャーデビュー〜解散」の解説は、「アーマード・セイント」の解説の一部です。
「メジャーデビュー〜解散」を含む「アーマード・セイント」の記事については、「アーマード・セイント」の概要を参照ください。
メジャーデビュー 〜 解散
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 09:46 UTC 版)
「T-BOLAN」の記事における「メジャーデビュー 〜 解散」の解説
1991年7月、川島だりあ作詞・作曲、西田昌史(EARTHSHAKER)編曲・サウンドプロデュース(西田魔阿思惟名義)の「悲しみが痛いよ」でメジャーデビュー。以降、「離したくはない」、「Bye For Now」、「マリア」などがヒット。特に1992年に発売された「Bye For Now」はミリオンヒットを記録した。 1995年、ライブツアー『LIVE HEAVEN '94〜'95』中に、森友は原因不明の発声障害(後に心因性発声障害と判明する)が発症。喉の調子が悪い状態が続いていたが、様子をみながらツアーを続けていた。ツアー最終公演であった3月26日大阪厚生年金会館(現・オリックス劇場)大ホールでは、ドクターストップがかかりライブ当日の会場で公演中止の発表をするも、会場に来たファンの声援に応えてライブを強行した。 その後、翌年のシングル「Be Myself/Heart of Gold 1996」を境に新曲を発表することなく活動休止状態となる。1996年、活動休止中にリリースされたベストアルバム『SINGLES』がミリオンヒットとなる。 1999年12月、森友嵐士の喉の不調が、心因性発声障害によるものであると判明。医師から「原因も治療法も不明の病気である」という診断を受けたことが決定打となり、森友の申し出によってT-BOLANは解散。ベストアルバム『FINAL BEST GREATEST SONGS & MORE』、VHS『FINAL BEST LIVE HEAVEN〜LIVE&CLIPS〜』をリリース。また、森友による自伝エッセイ『泥だらけのエピローグ』も発売される。 2009年11月、森友嵐士、ソロで音楽活動を再開。
※この「メジャーデビュー 〜 解散」の解説は、「T-BOLAN」の解説の一部です。
「メジャーデビュー 〜 解散」を含む「T-BOLAN」の記事については、「T-BOLAN」の概要を参照ください。
- メジャーデビュー〜解散のページへのリンク