メジャーデビュー - クリストファー・フランケ脱退まで(1973年 - 1987年)
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1973年、4thアルバム『アテム』が、当時のイギリスの人気ラジオDJのジョン・ピールにプッシュされて話題となり、イギリスの新興レーベル「ヴァージン・レコード」(当時はポリドール・レコード傘下)と契約し、世界規模で再デビューした。 1974年にアルバム『フェードラ』、1975年にアルバム『ルビコン』をリリース。ミュージックシーケンサーを全面的に使った最初期のポップミュージック作品であり、当時行き詰まりつつあったプログレッシブ・ロック・シーンに新風を吹き込んだと評された。しかしその後のグループの歩みは必ずしも順風満帆とはいえない。 1976年のアルバム『ストラトスフィア(浪漫)』からは、リズム、メロディ、ハーモニーという伝統的な音楽語法に回帰し、従来のファンを戸惑わせた。しかし、のちに広く認知されたタンジェリン・ドリームの音楽スタイルは、ここから出発したといえる。 1977年、ウィリアム・フリードキン監督の映画『恐怖の報酬』のサウンドトラックを担当し、高く評価された。1980年代にはサントラの仕事がメインのようになり、ホラー・SF系の映画のサントラをさかんに手がけ、その典型的なスタイルを作った。 ライブ・コンサートを数多くこなし、演奏を繰り返すうちに曲を練り上げるという「半即興」スタイルをとった。 ヴァージン・レコードとの契約は1983年のアルバム『ハイパーボリア』で終了。そのあとは、ジャイブ・エレクトロ、プライベート・ミュージック、ミラマー、TDI(自主レーベル)というレーベルを渡り歩いている。同年、初来日公演。 1987年に主要メンバーであったクリストファー・フランケが脱退。
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